古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ソ連がアフガニスタンを侵攻するようにアメリカが誘導した/『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰

『そうだったのか! 現代史』池上彰

 ・ソ連アフガニスタンを侵攻するようにアメリカが誘導した
 ・目をえぐり取られ、耳をそがれ、手足や性器を切断されたチェチェン人の遺体
 ・湾岸戦争では800トンに上る劣化ウラン弾が使用された


 パレスチナに関するトピックは物足りないが他は文句なし。ただし、パレスチナ自治政府汚職にまみれていることを初めて知った。最も勉強になったのは核兵器の誕生とチェルノブイリ原発事故について。後日、稿を改めて書く予定。


 中村哲を読んだばかりなので、やはりアフガニスタンの歴史に注目せざるを得ない。そしてマスードを生んだ国でもある。


 旧ソ連アフガニスタンに攻め込んだのは1979年のこと。戦闘は10年にわたって繰り広げられた。これには恐るべき舞台裏があった──

 ソ連軍によるアフガニスタン侵攻は、ソ連の極めて勝手な「安全保障観」によるものでした。しかし、その裏では、アメリカの秘密作戦があったことが、それから9年後に明らかにされています。
 当時、アメリカのカーター大統領の国家安全保障担当補佐官だったズビグニュー・ブレジンスキーは、1998年1月発売のフランスの週刊誌『Le Nouvel Observateur』で、記者のインタビューに答えて、アフガニスタンの反政府勢力への秘密の援助は、ソ連軍の侵攻より6カ月も前の1979年7月に始まっていたことを認めました。ブレジンスキーは、こう語っています。
「私は、この援助がソ連の軍事介入を誘発することになるだろうという私見を覚書にして大統領に渡した」
「我々が、ソ連を軍事介入に追い込んだのではありません。しかし、意図的に力を加え、ソ連がそう出てくる蓋然(がいぜん)性を高めていったのです」
「この秘密作戦は傑出したアイデアでした。ロシア人たちをアフガニスタンの罠に引っ張り込む効果を生みました。私に後悔しろとでも言いたいのですか?」(以上、いずれも金成浩〈キム・ソンホ〉『アフガン戦争の真実』より)
 ソ連軍が実際にアフガニスタンに侵攻すると、ブレジンスキーは、カーター大統領に、「今、我々はモスクワをベトナム戦争(のような泥沼の戦争)に引き込むチャンスである」という文書を提出しました(同書)。


【『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰ホーム社、2003年/集英社文庫、2008年)以下同】


 内乱を起こさせて政権を転覆させる手法は、アメリカが南米各地で行ってきた常套手段である。目的を遂げるまでは、資金や武器をいくらでも提供する。アメリカは世界最大の「暴力輸出国」なのだ。彼等は弾(はじ)かれたビリヤードの玉の動きでも予測するように発展途上国を弄(もてあそ)ぶ。


 中村哲アフガニスタンで川から20kmに及ぶ用水路を引いたが、CIAが流すのは武器と金だ。これらは川から引き込んだ水同様に勢いよく流れる。血と権力を求めて。


 アメリカがやったことはこうだ。街角で二人の男が睨(にら)み合っている。アメリカは片方の男にこっそりナイフを与え、その後拳銃を渡した。激情に駆られた男がナイフを振り回したところへ、後ろから相手の兄貴(ソ連)が出て来たわけだ。


 ベトナム戦争終結したのは1975年4月30日のこと。北爆開始から既に10年が経過していた。世論は反戦に傾いてた。時間が経過するにつれて米兵の残虐行為も明らかにされた。


米兵は拷問、惨殺、虐殺の限りを尽くした/『人間の崩壊 ベトナム米兵の証言』マーク・レーン


 ソ連アフガニスタン戦争に引きずり込むことで、アメリカとしてはベトナム戦争から立ち直る時間稼ぎをしたかったのだろう。結果はアメリカの目論見通りとなった。


ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実/『国家の崩壊』佐藤優宮崎学


 大国のエゴは小国の民を殺戮してやむことがない。自分達の発展のためなら、罪なき人々を虫けらのように殺し、自国民すら犠牲にできるのだ。そして戦争を決定した連中は整った身なりで、議論をし続ける。


 戦争のルールを変えるべきだ。政治家同士が直接対決するようにすべきだ。リングか金網を用意して、国民が見つめる中でどちらかが死ぬまで闘えばいいのだ。

 1987年から89年にかけて、(アフガニスタンのゲリラに対する)アメリカの援助額は、年間6億3000万ドルにも達しました。サウジアラビアも「聖戦」への支援として、ほぼ同額の援助を行いました。


 国民の血税が、アフガニスタン人とソ連人の血を求めて奔流と化す。戦争は儲かる。つまり戦争には経済的合理性があるのだ。破壊と創造こそは、まさしくキリスト教の神の仕事だ。


 情報化社会とは、世界中が情報に翻弄され、情報が暴力と化し、情報が幸不幸を決定する様相のことであり、脳細胞までが情報に支配される時代を示している。