物語には作者が存在する。そして、物語には意図が託されている。ユダヤ人を取り巻く物語は、ユダヤ人が創作したものが殆どで、脚色のレベルを超えて歴史捏造(ねつぞう)の領域に達している。
シオニズムというペンで書かれた物語を流布させたのはロスチャイルド家だった。
ドレフュス事件(1894年)は、明らかな人権蹂躙(じゅうりん)でありユダヤ人差別であった。ところが、この事件をテコにして新聞記者のヘルツルはシオニズム運動を提唱した。創作開始は1896年のこと(ヘルツル著『ユダヤ人国家』が出版される)。
その後全く同様の手口で、第二次世界大戦のナチスによるホロコーストをきっかけにして、シオニズム運動は盛んになった。それ以前から西欧諸国は、東欧のユダヤ人をパレスチナへ送り込んでいた。
こうして1948年5月15日、イスラエルはまんまと建国してしまった。
ユダヤ人は3000年もの長きにわたって迫害され続けてきた。ヨーロッパ中から差別された。そして、決定的な事件が起こる。イエスの処刑である。
なぜ、イエス キリストがユダヤ人迫害を決定づけたのか? 映画『パッション』を観れば、2時間で理解できる。
この映画のテーマはたった一つ、「イエス キリストの受難」だ。イエスは、ひたすらムチ打たれ、血まみれになり、ゴルゴダの丘で十字架刑に課せられる。そして、その執行人はユダヤ人だった。あらに、銀貨30枚でイエスをうったユダも、ユダヤ人。イエスを迫害し、抹殺したのは、ローマ帝国でも、ヘロデ王でもなく、ユダヤ人である、という主張がそこにある。
このことは、キリスト教本流をなす宗派や、イスラム教の信者たちに、ユダヤ教徒への根強い不信感と憎悪を植えつけた。そして、このユダヤ人への黒いフィルタは、差別と迫害とともに、イエスの死後2000年経過した現代まで存続している。
【週刊スモールトーク「ユダヤ人が迫害される理由 I ユダヤ人の歴史」】
つまり、物語創作によって真っ先に被害を受けていたのはユダヤ人の側だった。目には目を、物語には物語を。「約束の地」――。
数多くのユダヤ人がナチスに殺された(※殺されたのはユダヤ人だけではない)のはなぜか――
ヒトラーとユダヤ系銀行の交渉は、値段で折り合いがつかずに失敗し、ヒトラーはユダヤ人問題に対して、もうひとつの「解決」を実行することにした。それがユダヤ人絶滅策である。
ニュールンベルクの裁判において、シャハト(※ヒトラー政権下の経済大臣)は最後にこう述べている。
「私の計画がうまくいっていたら、ドイツ系ユダヤ人はひとりも生命を失わないですんだろう」
シオニスト銀行が値段を値切ろうとしたおかげで、30万人のドイツ系ユダヤ人が(もちろん貧しい)強制収容所において、殺されることになった。
【『新版 リウスのパレスチナ問題入門 さまよえるユダヤ人から血まよえるユダヤ人へ』エドワルド・デル・リウス/山崎カヲル訳(第三書館、2001年/旧版、1983年)以下同】
一部のユダヤ人が莫大な資産を所有していた。ユダヤ人を追放することで資産がドイツ国外へと移動することを恐れたヒトラーは、出国税を徴収しようとした。そして、ヒトラーはユダヤ系銀行に36万人分の出国税を支払うよう交渉した。これを銀行側が値切ったのである。
ヨーロッパ諸国もユダヤ人に対して冷淡な態度をとった。
1938年夏、32ヶ国の代表者たちがユダヤ難民問題を話し合うための会議を開こうとしたとき、スイスはこの会議の主催国になることを拒んだ。そのため会議はフランスのエビアンで開催されることになった。
この会議(エビアン会議)では、スイスに限らず大半の国がユダヤ難民に門戸を開くことに消極的で、結局、何の具体的な政策も打ち出せないまま幕を閉じた。
【ヘブライの館 2「ナチスとスイスの協力関係」】
結局のところナチスによるホロコーストは、ヨーロッパ中の不作為の結晶と言っていいのかも知れない。
以下は、本書に引用されている興味深いデータである――
本書は、メキシコの漫画家リウスが、1983年3月東京の「イスラエルのレバノン侵略に関する国際民衆法廷(IPTIL)」に出席した際に書き上げた作品である。本の作りが非常に雑で、出典が一つも記されていない。「IPTIL」がどのようなものかも示されていない。信憑性については確認の要あり。
「俺達にとっては“約束の地”なんだから、お前達は出て行け」――これがパレスチナ人に対するユダヤ人の言い分だった。
西暦135年にはイギリスも、フランスも、米国も、ポーランドも、ロシアも、ドイツも国家としては存在していなかったのだ! それなのに、ユダヤ国家だけは特別扱いされる!
20世紀のまっただなかで、こんな時代錯誤を真剣に主張するなんておかしなことだ。2000年近い昔に消滅した国家をどんな権利で再建できるのだろう!!
パレスチナ人は今日も殺されている。そして、明日も殺されるのだ。