古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実/『国家の崩壊』佐藤優、宮崎学

目をえぐり取られ、耳をそがれ、手足や性器を切断されたチェチェン人の遺体

 ・ソ連によるアフガニスタン侵攻の現実
 ・チェチェンの伝統「血の報復の掟」


 軍事技術の発達は「距離を獲得」したと言ってよい。すると、戦争とは縁のない我々は、離れた位置から敵を撃ち、砲撃するものと勝手に想像してしまう。当然、返り血を浴びることはなく、硝煙と爆発が戦場を支配する。


 ソ連軍によるアフガニスタン侵攻は、1979年から1988年まで続いた。ということは、バブル景気に酔い痴れていた頃までだから、ついこの間のことだ。だが、現実は凄惨を極めるものだった。

 戦車で走行していると、道の上で赤ん坊が泣いている。かわいそうだということで、その赤ん坊を取り上げて近所の村に連れて行くわけです。ところが、これが罠なんです。赤ん坊を連れていったソ連兵は、その村で捕まる。捕まったソ連兵はどうやって殺されるか。まず、ナイフで両目をえぐられる。それから耳ちょん切って、両手両足ちょん切って、それで急所をえぐりとって、生きたまま道路に投げて置くんです。その兵隊は発見されても、もう助かりはしない。そういうことを一度経験したら、ソ連軍は何をやるか。ヴェトナム戦争のときのソンミ村と同じことをやるわけです。村人全員を皆殺しにする。そうしたら、アフガンの村という村が憎しみの塊になって、今度またロシア人を捕まえたら同じようなことをする。そういう憎しみの連鎖……。
 こうした憎しみの連鎖の異常な状況に置かれると、人間というのは、あっという間に残虐なことでもなんでもする。やがてソ連兵は強姦を始める。それから買春か強姦か、あるいはその中間みたいなことをしょっちゅうやるようになる。砂糖かなんかをあげて、それで人を犯すということが平気になって、だんだん感覚が麻痺してくる。
 反体制派のサハロフが、当時の人民代議員大会で問題にしたことですが、アフガニスタンソ連軍が味方の兵隊を武装ヘリで撃ったという事件がありました。軍は事実無根だと否定しましたが、私の教え子は「そういうことはたくさんあった」というのです。しかし、その真相はサハロフが言っているのとは全く違うと言うんです。
「ゲリラに捕まってしまったら、向こうには恨みがあるものだから、ひどいことになる。とくに女性たちが怖い。石を投げてメッタ打ちにしたり、鈍器で時間をかけて殺したりする。一つの小隊が包囲されて捕まったりすると、全員が、そういうふうにボロボロにされてなぶり殺しにあう。だから捕まってしまったら、そいつらが少しでも楽に死ねるようにと、武装ヘリを送ってソ連兵をみんな殺すんだ。もちろん、そのアフガンの村は全滅させる。そういうオペレーションをやるしかなくなってしまったんだ」と、アルベルトは言いました。


【『国家の崩壊』佐藤優宮崎学(にんげん出版、2006年)】


 果たして人間が人間に対して、これほどの仕打ちができるものだろうか? できる。実際にやっていたのだから。きっと、そうせずにはいられないほどの憎悪が燃え盛っていたということなのだろう。


 憎しみは加速する。加速した憎しみは反響し合う。ここまで来ると、「暴力」という次元ではない。残虐競争だ。そして、それをやらせているのは国を牛耳っている政治家で、やらされているのは大した責任もないその辺の兄ちゃんである。


 国に軍隊がある限り、国家は国民に対して残虐を強制する。このことは覚えておくべきだ。


サラエボ紛争の現実/『この大地に命与えられし者たちへ』写真・文 桃井和馬
ソンミ村虐殺事件/『アメリカ・インディアン悲史』藤永茂