本地垂迹説/『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基

 仏教の伝来に対する、氏神信仰からの激しい抵抗の結果、仏教の側では、一種の妥協と譲歩を余儀なくされた。インドの仏が、衆生(しゅじょう)を済度するために、神の姿でわが国に現れたとする本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)こそ、仏教の神道に対する妥協の産物、つまり神仏習合思想の現われにほかならなかった。鎌倉時代になってからも、氏神信仰はさかんであり、ことに宮中では、神事が仏事に優先していた。


【『鎌倉佛教 親鸞道元日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 ブッダが三世にわたる因果を説いたのも「妥協の産物」といえよう。では、何のための妥協であったのか? それは理論的なものではなくして、リアリズムに立脚した衆生済度(しゅじょうさいど)のためであった、と私は考える。戸頃の見方はやや政治的視点に傾きすぎている。


鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮