古本屋の覚え書き

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日本仏教は鎮護国家仏教として出発した/『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基

 鎌倉仏教の3大スター親鸞道元日蓮の思想と生きざまを、やや批判的(あるいは学術的)に捉えた好著。タイトルの「仏教」がなぜ旧漢字なのかは不明。何の知識もない人が読むと、毒される可能性あり(笑)。仏教思想の俯瞰が巧みで、見識を感じさせる。

 釈迦(しゃか)を開祖とする仏教が、百済(くだら)からはじめてわが国にもたされたのは、ようやく安定した国家が生れつつあった6世紀のなかば、538(欽明天皇の7)年であった。日本の朝廷がこの仏教をうけいれたのは、天皇が宗教的だったからでも、異国の高い文化に憧れていたからでもない。部族や氏族の対立をのりこえ、天皇中心の統一国家をめざしているちょうどそのとき、普遍的な宗教をうけいれることが、政治的に国民を支配するためにも便利だったからである。このことは、日本仏教が輸入の当初から、政治的な鎮護国家仏教として出発したことを意味している。


【『鎌倉佛教 親鸞道元日蓮』戸頃重基(中公新書、1967年)】


 宗教は政治に利用される。最澄空海による平安仏教は輸入思想であった。それを日本民族的に昇華させたのが鎌倉仏教である、というのが戸頃重基の見解。で、日本の民族性は何かというと「シャーマニズム」。


 共同体の枠組みが大きく変わる時、新たな思想が求められるという指摘は興味深い。世界が一つになる時、今までにない新しい宗教が必要になることだろう。