古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

オシムが背負う十字架/『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦

 スポーツ選手や職人の言葉が胸を打つのは、思考に身体性が伴っているためであろう。そう。人生とは“行為”なのだ。時に学者の言葉が軽く感じられるのは、私の人生とは無縁な能書きに過ぎないからだ。


 イビチャ・オシム。身長191cmの偉容。猫背なのは知性が重すぎる証拠か。表情にはどこか憂愁がつきまとっている。しかし眼光は鋭い。そして彼が発する言葉には賢者の響きがある。


 オシムユーゴスラビア(現・ボスニア・ヘルツェゴビナ)のサラエヴォで生まれた。この国の複雑な歴史と運命が、オシムの人格に深い影響を及ぼしている。サッカーですら政治とは無縁でいられなかった。


 祖国で紛争が起こるサラエヴォは包囲された(1992年)。妻と長女がサラエヴォにいた。オシムと長男は戻れなくなっていた――

 オシムは内戦時に自分がサラエボにいなかったことを、強烈な負い目として感じている。心から愛して止まなかった故郷で人が殺されている時、別の場所にいたことを「一生かかっても消えない自分にとっての障害(ハンディキャップ)だ」とまで言い切る。公務、つまり代表監督として包囲される前にたまたまベオにいたこと、帰ろうにも戻れなかったことは、彼の中では言い訳にならない。死んだのは撃たれた者だけではない。隣人が殺し合う惨い状況に絶望して、自らを手にかけた自殺者の数がいかに多いことか。絶望、そう、皮肉なことに理想郷だったサラエボを知る者だけが、感じられる感情。ベオにいた代表監督も間違いなくその淵をのぞいていた。


【『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社インターナショナル、2005年/集英社文庫、2008年)】


 ユーゴ代表チームにはセルビア人、クロアチア人、アルバニア人がいた。紛争が始まるや否や、チームメイトは敵国の人間となった。ジャーナリズムは国威発揚を隠そうともせず、好き勝手なサッカー記事を綴った。


 そんな中でオシムはチームを牽引し、国家をも牽引した。サッカーの世界に人種は関係がなかった。

 ユーゴスラビア紛争終結後もわだかまりの残る旧ユーゴスラビア構成諸国家内各民族の間で、今なおどの民族からも尊敬を集め得る人物の一人であるといわれている。これは数々の困難を乗り越えてユーゴスラビア代表に栄光をもたらした功績によるものである。


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 崇高な責任感と高貴な正義感が、オシムに十字架を背負わせた。監督としての務めは果たしていたが、同胞が経験した地獄に居合わせなかった。オシムはサッカーチームの監督である前に一人の民であった。


 ここにおいてオシムの発想が逆転していることに気づくのだ。凡人であれば、サラエヴォから脱出していたことを僥倖(ぎょうこう)と感じたことだろう。もしも、ユーゴスラビアの政治家にオシムほどの責任感があれば、紛争は間違いなく回避できたはずだ。


 サラエヴォは人種と宗教の坩堝(るつぼ)である。オシムは言う――「バルカン半島の人間はアイディアを持ち合わせてないと生きてゆけない。今日は生きれた。でも明日何が起きるかわからない。バルカン半島では、問題解決のためのアイディアがないと生きてゆけないのだ」と(※本書に掲載されているのだが入力していなかったため、「チャンネルアジア」より借用)。


 オシムが語る「アイディア」とは、傷ついた者が生き延びようとする強靭な意志から生まれる智慧なのだ。乾いたユーモア、絶望を達観するニヒリズム、聞き手が考えざるを得ない言葉の数々……。私にはオシムの姿がブッダと重なって見える。