古本屋の覚え書き

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野球人・王貞治の悟りと怒り/『回想』王貞治

 福岡ソフトバンクホークス王貞治監督が今シーズンで引退した。WBCの第1回大会で日本チームを優勝に導いたドラマは今尚記憶に新しい。癌ですら、野球に懸ける情熱を阻むことはできなかった。グラウンドに再び立った時の痩せこけた頬は、まぎれもなく修行者のものだった。


 私は中学の時、野球をしていた。監督が早稲田実業の野球スタイルに傾倒していて、中学の野球部とは思えないほどの厳しい練習を課した。私は2年でレギュラーとなり、3年で4番打者となった。さほど才能がないこともあって、この2年間は日々150回の素振りを繰り返した。最後の中体連では札幌で優勝したものの、全道大会の準々決勝でサヨナラ負けを喫した。翌日の「北海タイムス」スポーツ面には、小さいながらも「手稲東敗れる」との見出しが躍った。


 監督は、何度となく王選手(当時はまだ現役だった)のエピソードを語った。私は、憧れというよりは、むしろ敬意を抱くようになっていた。中学生の私から見ても、長嶋茂雄は軽薄に映った。それに比べて王貞治はストイックな紳士であった。

 常に挑戦する心を持ち続けること、これは野球の世界だけではなく、どの世界にいても大事なことだという気がする。
 野球選手の場合は、もっとうまくなりたい、もっと遠くへ飛ばしたい、もっと速い球を投げたい、というような“もっと、もっと”という貪欲さを失わなければ、こういう不断の挑戦を自分のものとして保持し、持続することができる。(中略)
 挑戦心を持続するには、いつも「なぜ?」という疑問を持っていることが必要だ。
 よりうまくなりたいと思えば、肉体や精神の苦しみも倍加する。しかし、苦しんだ分だけうまくなれば、うまくなるためには苦しむのが当然だと思えるようになる。こうなったらシメたものだ。
 なぜなら、上手にやれるものほど、やって楽しいし、楽しければ、それに伴う苦しみもまた楽しみに変えることができる、という不思議な能力を人間はもっているからである。
 他の社会の醒めきったような人から悟りきったような口調で、
「たかが野球じゃないか」
 といわれるくらい腹の立つことはない。
 野球をただの遊びと考えている人には「たかが」かも知れないが、人生を賭けてまで野球を追いつめていって、その奥行きの深さ難しさを知った者の口からは、「たかが」などという言葉は、たとえ頭のてっぺんに五寸釘を打ち込まれても出てこないだろう。


【『回想』王貞治勁文社、1981年/ケイブンシャ文庫、1983年)】


 ここには、王貞治の悟りと怒りが鮮やかに描かれている。悟りは煩悩側菩提の領域に達しており、怒りは鬼神の如く激しい。いずれも深き人生を思わせる内容である。


「たかが野球」とは、寿司屋に偶然居合わせた数学者が放った言葉だと記憶している。何とはなしに「広中平祐かな」と邪推した覚えがある。


 王貞治にとって、野球とは単なる職業ではなく、スポーツですらなかった。それは、野球道という果てなき世界であった。王貞治は野球に生きた。野球こそ自分であり、自分は野球と化していた。だからこそ、野球を嘲笑う人間は許せなかった。


 一本足打法は、天井から糸で吊るされた紙を日本刀で斬る訓練から生み出された。王貞治という野球人は、最後までその真剣を手放さなかった。