・『還暦ルーキー 60歳でプロゴルファー』平山譲
・『「ありがとう」のゴルフ 感謝の気持ちで強くなる、壁を破る』古市忠夫
「古市忠夫君」
係員が名前を呼んだ。ティーショットの順番がまわってきたのであった。忠夫は「はい」と応え、ゆっくりと打席へ向かった。烈風と豪雨に蹌(よろ)めきながら、これから打ち下ろす方向に正対し、直立した。
そのときであった。突然彼は、雨合羽の頭巾(フード)をとり、コースに向かって頭を下げた。剥(む)き出しになった頭や顔を風雨にたたかれた。ずぶ濡れになりながらもなお、頭を下げ続けた。ティーグラウンド上の3選手が、係員が、そしてティーグラウンド下で待機している大勢の選手が、彼の奇行に眼を瞠(みは)った。彼の姿はまるで、祈りを捧げるもののようであった。
彼は静かに頭を上げた。そして黙然と、暗がりの中の見えないグリーンを見つめた。その面持は、数秒前とは別人のようであった。眼は鋭い光を帯び、唇は固く結ばれ、頬は精悍(せいかん)にひき締まっていた。
60歳でプロゴルファーになった古市忠夫氏を描いたノンフィクション。私はゴルフというスポーツに全く興味はないが、それでもこの本は堪能できた。生涯青春を絵に描いたような生きざまが清々(すがすが)しい。
震災後に忠夫は、「三つの顔」を見た。茫然自失して動かずにいる人の顔。他人のことはかえりみず、自分のためだけに動く人の顔。そして自分のことはかえりみず、他人のためだけに動く人の顔。どれも人間らしい、自然の顔なのだと思った。けれども、彼が、心を揺さぶられ、衝き動かされ、励まされ、奮わせられたのは、動かずにいる人の顔や、自分のためだけに動く人の顔ではなかった。ボランティアとして名簿作成に尽力した松原芳雄は、自宅が倒壊し、一緒に暮らしていた父と母、そして中学3年生の息子と小学6年生の娘の4人を亡くしていた。松原はしかし、笑っていた。公会堂へ配給の弁当を受け取りに訪れる被災者に、笑って応対していた。
「おばあちゃん、夜寒くないか」
「見舞いに来た人と会えたか、それはよかったなあ」
「あまり思い出して泣かんほうがええよ、辛くなるばかりやから」
自分が誰よりも辛い思いをしているはずであるのに、松原はいつも、人を思い遣り、優しく笑っていた。忠夫は、松原の人間としての力強さに出会うたび、ものもいえなくなるほど感動した。そして、自分もそうありたいと思った。
町の消防団だった古市氏は、飲まず食わずで救援に当たり、震災後は町づくりに尽力する。ありとあらゆる困難を乗り越えて、遂に「地震に負けない街」が実現する。「あとがき」で紹介されている「天国への手紙」には涙を禁じ得なかった。
いやはや、学校の教科書に載せてもらいたいほどの人物である。
【左が単行本、右が文庫本】