宇治少年院の歴史を変えた大縄跳び/『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香


 この大縄跳びが少年達を変えた。

 それでもやはりうまくいかない。運動神経の悪い子が足をひっぱっていた。だれもがそう考えていたそのとき、一人の院生がこんなこを言いだした。
 自分は跳べなかったら、下(中間期)からやり直さなあかん。ホントにダメなら、下に行く。それでもやってやるって思うヤツは、出院間近の証である白いバッジを捨てるくらいの気持ちやないと、あかんのとちゃうか。俺はバッジを捨てる。
「それを聞いていた院生みんなで、バッジを外してバッと地面に捨てました。それからはほんとうに真剣になった。それまでも真剣だったけど、なんていうか、気持ちが一つになったんです」
 縄を回す手も腫れ、跳ぶ足も腫れあがっていた。
 全員、極限状態だった。
 そんなとき、「もういいんじゃないか。よくがんばった」という教官の声が聞こえてきた。
 もう、ほんとうにこれが最後、やっぱり跳べないんだ……。院生も教官たちもそう思った瞬間だった。
「ちょうどそのときに、跳べたんです。24人で241回! あんなに嬉しかったことはなかった。みんなで抱き合って喜びました。泣いている子もいましたよ、僕も涙が出て止まらなかった」
 向井先生も、ほかの先生たちも泣いていた。その場にいた全員が、わーっと抱き合って、ほんとうに跳べたことに興奮し、感謝し、涙した。
「これが、僕の原点なんだ、とそのとき思いました。自分はここから始まるんだって。そして、人と気持ちを合わせることはすごく大事で、しかもすごく気持ちのいいことだということも知った。気がついたら、ずっとわからなかった“思いやり”ということが、自然とわかっていたんです。そのことも嬉しかったですねえ」(中略)
 その日、思い出の大縄跳びは山本善博企画統括(現・京都医療少年院庶務課長)のはからいで24等分に切られ、全員に配られた。めいめい結び目をつけて、これからの宝物にしようということになった。イナモト君が私に見せてくれたのは、逡巡し苦悩した末に獲得した、ほんとうの宝物だったのだ。


【『心からのごめんなさいへ 一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦』品川裕香中央法規出版、2005年)】


 本気で心を一つにして挑戦した時、彼等は既に変わっていた。それまで出来なかったことが出来た時、彼等は自分を信じることができた。若者はきっかけ一つでグンと伸びる。


 そんなきっかけを作ったのは少年院関係者だった。宇治少年院には「本気の教育」があった。発達障害と見られる少年達が驚くべき成長を遂げる。教育が人間の可能性を開花させることを見事に証明している。


心からのごめんなさいへ −一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦−