和田アキ子という代理オヤジ/『テレビ標本箱』小田嶋隆


 テレビを観なくなってから一年ほど経過している。いや一年は大袈裟だな。9ヶ月くらいか。この間に観たのは、NHKスペシャル1回のみである。既にスイッチを入れないというレベルではなくて、コンセントが抜きっ放しになっている有り様だ。我が家にあってテレビは、限りなく粗大ゴミに近いDVD再生器具と化している。


 時々、よそのお宅でテレビを観る機会があるが、まあ酷いもんだね。ブラウン管の向こう側に確固たる個人は存在しない。ヒエラルキーの中で自分のポジションを確認しながら、与えられた役割を演じているだけの世界だ。

 自力で新聞を読みこなせない層のためのテレビ版新聞ダイジェストをニュースショーと呼ぶのだとするなら、ワイドショーは、ニュース解説に読後感まで付け加えた一種の完パケ商品だ。「どう考えるか」のみならず「どう感じるか」までをすべて丸投げにした完全なおまかせニュース商品。
 たとえば「アッコにおまかせ!」では、文字通り和田アキ子という一人の代理オヤジに世界の解釈が丸ごと委ねられている。で、日曜日のオヤジの無気力につけ込む形でアッコ節が炸裂する。末世だ。


【『テレビ標本箱』小田嶋隆中公新書ラクレ、2006年)】


完パケ」とは完全パケットの略か。和田アキ子は「力」を体現している。小田嶋隆は「代理オヤジ」と手加減しているが、ま、自民党暴力団というのが正解だろう。あるいは、神……。つまり、「逆らうことが許されないもの」の象徴として和田アキ子は存在しているのだ。そして、現実世界にドラえもんは存在しない。


 世にマザコン男性は多い。年上の女性から叱られることで快感を覚えるタイプだ。“叱ってくれる”という関係性に甘え、寄り掛かり、もたれてしまうような手合いだ。かような連中は、和田アキ子を支持し、田中真紀子を支え、細木和子を懐かしむのだろう。まったくもって馬鹿につける薬はない。


 とはいうものの、和田アキ子はいなくならない。ということは、だ。ヒトという動物が従属関係の中で生きていることを示している(本当か?)。支配するか、額づくかのどちらかだ(フム、もっともらしい)。


 しかし、和田アキ子に従属するのは間違っている。なぜなら、彼女には信念や哲学がなく、感覚でものを言っているからだ。じっくりと検証すれば、容易に自語相違が見つかるはずだ。


 謙虚さを失った人物は他人から学ぶことができない。その一方で、真面目さだけが取り柄の連中が傲慢な人物に魅了されてしまうのも、また事実である。確かに世も末だ。


テレビ標本箱 (中公新書ラクレ (231))