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議席を相続する二世議員/『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆

 政治家の世襲が問題視されている。今までの批判とは異なっていて与野党内からも大きな声が上がっている。な、な、なんと、“世襲の権化”ともいうべき鳩山邦夫総務相(当時)まで叫んだ――

 政界の名門、鳩山家4代目の鳩山邦夫総務相24日の記者会見で民主党世襲制限案をやり玉にあげた。
「非常に中途半端だ。どうせ提案するのなら、次の選挙で小沢一郎民主党代表)さんも鳩山由紀夫(同党幹事長)も出ないから麻生太郎首相も鳩山邦夫も出るな、というのなら徹底しますわね」


産経ニュース 2009-04-24


 中々小気味がいい。しかし残念なことだが、売り言葉に買い言葉の域を出ていない。小泉純一郎が首相になってからというもの、メディアはわかりやすい言葉に飛びつき、国民がやんややんやと喝采を送る風潮が強まっている。


「国民の声を代弁する」と言えば確かに聞こえはいい。だが、政治家が口にする国民は蜃気楼(しんきろう)のようなもので、どこに存在するのかもわからない。「――と国民の皆さんは感じてますよ」なあんてやられた暁には、「そりゃ、国民じゃなくて、てめえの意見だろうが!」と言い返したくなる。


 政治家が関心を抱いているのは、自分の選挙区の選挙民だけだ。それ以外の国民はどうでもいい存在である。メディアに露出した場合は虚勢で押し切る。言動の内容よりも、衝撃度を競うことで知名度アップを図ろうとする。


 それにしても腑に落ちないのだが、「議員は儲かる」といった類いの話を私の周囲で聞いたことがない。多分大半の議員は持ち出しが多いため、給料すら自由に使えないことと察する。儲かっている政治家は、自民党と元自民党の一部の代議士に限られているのではないか。


 そして「儲かる」となれば、簡単には手放せなくなる。議員を引退するとなれば、誰に“遺産相続”するかってな話になりますわな。で、当然の如く自分の身内から選ぶというわけ。出来れば息子が望ましい――

 二世議員のすべてが悪いというつもりはない。が、建前論を申し上げるなら、議席は、本来、相続すべきものではない。
 逆に言えば、議席の相続をはかる政治家は、代議士の職務を「モノ」と考えているのである。つまり、私物化だ。
 彼らは、権力を私物化しているからこそ、元来、職責でしかない議員という職業を、個人的な資産と同じ感覚で、譲渡したり相続したりできるわけなのだ。


【『かくかく私価時価 無資本主義商品論 1997-2003』小田嶋隆(BNN、2003年)】


 小田嶋が指摘するように、世襲は「権力を私物化している」証拠であろう。親が築いた地盤・看板・カバンを、労せずして手に入れることができる。まさに「濡れ手で粟」。


 民主党菅直人は、日本の改革が遅れている理由は、守旧化した官僚主導の政治と世襲政治に最大の原因があると叫んできた。その矛先(ほこさき)は1999年の代表選挙で味方にまで突きつけられ、世襲議員の2名の対立候補者に向かって「銀のスプーンをくわえて生まれた」と皮肉った。ところが、2003年の衆院解散で自分の長男が出馬するとなった途端、「たまたま優れた人材が二世だったというだけ」と開き直ってみせたのだ。


 世襲問題の根っこは、日本人全員が実は世襲を好んでいるところにある、というのが私の見解だ。日本人は家・格式というブランドを重んじる傾向が強い。村長の息子は幼い頃から優遇される社会構造なのだ。


 芸能界やスポーツ界も同様に世襲が好まれている。日本社会で「鳶(とび)が鷹を生む」ことは、まずないと思っていい。世襲の最たるものは家元制度であろう。


 ストレンジャー(英語)やエトランゼ(フランス語)を日本語に訳すと「馬の骨」になる。この言葉が最も多用されるのは、娘に彼氏ができたことを知った父親のセリフとしてである。「そんな、どこの馬の骨かわからん男に、うちの娘をやるわけにはいかん」ってな具合だ。


 村意識はファミリーという偶像が大好きだ。ボクシングの亀田兄弟が一世を風靡(ふうび)したのも、亀田父子の絆という演出があったればこそ。ま、失敗したけどさ。


 このように、メディアでは世襲を批判する向きが圧倒的多数を占めているが、文化としての世襲は殆どの人々が認めているというジレンマがある。


 それでも、やはり二世議員は認め難い。はっきり言えばただの「税金泥棒」だよ。世襲議員が当選するようなところは“ド田舎”だ。たとえ東京であったとしても。


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