古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

世界よりも眼が先/『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二

『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『唯脳論』養老孟司

 ・世界よりも眼が先
 ・人間が認識しているのは0.5秒前の世界
 ・フィードバックとは

『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
『できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬』池谷裕二

必読書リスト その三


 ベストセラーとなった『海馬 脳は疲れない』はチト物足りなかった。こっちは、池谷裕二氏の面目躍如といったところ。米国で日本人中高生に集中講義をした内容。私が読んできた脳ミソものでは、断トツの1位。『海馬』は一日で読めるが、『進化しすぎた脳』は少し時間をかけて読んだ方がいい。「面白い」だけで終わってしまってはもったいないからだ。

 ちょっと人間のケースで考えてみようか。交通事故で手を失ってしまった人が、義手をする。その人の体の一部は生身じゃない。その場合、その人はその人のままであり続けるか。もちろん「私は私」だよね。さらに足までが義足になったとしても、「私は私」。心臓が人工心臓に変わっても「私は私」だよね。
 そうやって、少しずつ体の部分を取り替えていったら、どこまで変えたら「私は私」じゃなくなると思う? たとえば顔を整形して見かけが別人になったら私じゃない? 心はもう自分ではなくなっちゃう?


 実に巧みな質問である。はっきり言ってズルい(笑)。やはり、「心」は「脳」にあるんだな。米国で起きたフィネアス・ゲイジの事故によって、脳の仕組みが少しずつわかり始めた。人格を司っているのが前頭葉であることが判明した瞬間だ。しかしながら、心の場所は明らかになったわけだが、いかなる作用が自分を自分たらしめているのかは難しい問題だ。


 生きたネズミをリモコンで動かす実験があるそうだ。あな恐ろし。

「右側のヒゲが触られたな」と思ったときに、ネズミが右側に動く。すると報酬系が刺激されるようなリモコンをつくっておく。逆に、「左側のヒゲに何かが触ったな」とネズミが感じて左側に動くと報酬系が刺激されて報酬が得られる。
 そうなると、ネズミは近くにもうどんなに美味しいご馳走があろうとも水があろうとも、全部無視。いまヒゲが感じた方向に移動することだけを実行する。その〈報酬〉の快楽を一回知ってしまったらもう逃れられない。
 どんなに傾斜が急で危ない階段であろうと、どんなに幅の狭い高架橋であろうと――ネズミはそういう場所が嫌いなんだけど――、歩かされてしまうんだ。


 きっと、「達成感」なんてえのあ、報酬系なんでしょうな。あと、「称賛」とかね。気持ちがよくなる物質が確かに出ていそうだよ。


 実験はここからもう一段進む。レバーを押すと水が出ることをネズミに学習させる。その際に脳の反応を電極で検出して、同じ反応が現れたら水が出るようにコンピュータを設定しておく。すると、ネズミは念力で水を出すようになる。「思った」だけで、水が出てくることを学習するというのだ。電極だらけの人間が出てきたら、どうしよう。出産直後にやられたらアウトだな。

 ということは、ここで心に留めてほしいんだけど、さっきみんなに示した「脳の地図」は、じつはかなりの部分で後天的なものだってことだね。言ってみれば、脳の地図は脳が決めているのではなくて身体が決めている、というわけだ。


 脳が身体を支配していると思いきや、身体によって脳の地図が描かれる。本書では「脳神経のフィードバック」についても書かれているが、脳と身体においてもフィードバックが働いている。ムム、凄い。科学における「悟り」の領域だな。行きつ戻りつするのが脳と身体の現実であるとするならば、悩んだり、煩悶したり、躊躇したり、戸惑ったりすることこそ、最も人間らしい姿なのかも知れない。

 言ってることわかるかな? 順番が逆だということ。世界があって、それを見るために目を発達させたんじゃなくて、目ができたから世界が世界としてはじめて意味を持った。


 これまた、「悟り」(笑)。しかも、V・S・ラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』によれば、目というのはさほど精密な情報を集めているわけではなく、脳が勝手に予想して多くを補っているという。更に、「それどころか眼は、実は脳の一部なのだ」(『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック)。とするとだよ、脳が認識できる範囲=世界という構図になる。「♪二人のため〜 世界はあるの〜」と佐良直美は歌ったが、本当は「脳のため」だったんだな。


 という具合に、どこをとっても面白い。最新の脳科学の研究を紹介しながらも、中高生に教える内容はベーシックなもので発展させる余地が十分残されている。何と言っても極め付きは、池谷氏が中高生と対等の位置から語りかけていることである。これによって、中高生から鋭い質問を引き出している。池谷氏が、単なる知識ではなく、驚きや感動を共有しようとする姿勢が、本書をこの上なく好感の持てる内容にしていることを見逃してはならないだろう。