医療の機械化/『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック


 昔であれば、医師や教師、僧侶はそれなりに世間から尊敬されていたものだ。社会の中で間違いなく教育者的役割を果たしていた。だが今はどうだ。単なる職業へと成り下がってしまった。


「職業だっていいじゃないか」と相田みつをが言いそうだ。「人間だもの」とかね。しかし、我々のわがままがそれを許さない。なかんずく医師は生と死の間で働いているため、我々から見ると神に近い領域にいる。まな板の鯉さながらに手術台に横たわる時、私の命は医師に預けたも同然だ。


 医療の機械化が進展するにつれ、医師の業務内容も大きく変わった――

 医師は集団として見たとき、政治家と同じくらいとらえどころがなくなってきている。医師からじかに言を聞くのはむずかしい。機械が道具として、つまりは頭や感覚の延長として使われるのではなく、頭や感覚の代わりとして使われているからだ。患者は「検査結果がでるまで待ちましょう」と言われる。機械は「知識を通して」という意味の診断(ダイアグノーシス)という言葉を――かつては人間の体と精神のなりたちについて、医師がもつ知識を示唆していた言葉を――崩壊させた。いまや「診断」は機械の結果がでるまで待つという意味になった。私たち医師は、多くの場面で患者の満足のよりどころとなるのが、事実にもとづく知識や専門的技量ではないということを忘れてしまったようだ。


【『共感覚者の驚くべき日常 形を味わう人、色を聴く人』リチャード・E・シトーウィック/山下篤子訳(草思社、2002年)】


 機械は人間を依存させる。そして依存が人間を機械化するのだ。医師が見つめるのは患者ではなく、計測された数値である。このため、患者が痛みや違和感を訴えても、「数値に異常は見られないから大丈夫ですよ」と答える場面がしばしば見受けられるようになった。


 最先端医療、高度先進医療というのも殆どが特別な医療機器に依存している。高額な機械が高額な医療費を請求する。地獄の沙汰も金次第ってわけだ。


 仕事というのは専門性が高くなればなるほど特権階級と化す。いわゆる士業と呼ばれるものがその典型だ。この連中はおしなべて傲慢で、思い上がっていて、礼儀知らずである――

 最近、病院のチームビルドの研修依頼が増えてきています。医療事故が起きれば、医者は看護師のせいにしようとします。セクハラ、パワハラが多い病院から看護師さんが逃げて、患者も逃げていく。
 IQ(知能指数)が高い人が、人格、EQ(情動指数)も高いとは限りません。お医者さんは、「ありがとう」を言わない人が多いんですよ。


原田隆史日経ビジネス


 つまり医師は「『ありがとうございます』と言われる立場」だと誤解しているのだろう。客を散々待たせた挙げ句、金を払う客に対して頭も下げない。多分、あいつらにはサービス業であるという自覚すらないのだろう。


 機械が進化するに連れて人間が劣化してゆく。人間の役割は細分化され、居場所すら失いつつあるような気がする。そして最大の不思議は、これほど機械化が進んでいるにもかかわらず、労働時間が一向に短縮されない現実である。


共感覚者の驚くべき日常―形を味わう人、色を聴く人