「国士」という古臭い言葉を思い出した。日露外交の最先端で働く外務官僚が、なぜ逮捕され服役するに至ったのか? 外務省組織の力学と、外交のディープな世界が赤裸々に綴られている。
取り調べの段階で、西村氏の目が挑戦的に光った。
「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」
「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」
「そこまでわかってるんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」
西村検事は「国策捜査」ということばを使った。これは意外だった。この検事が本格的に私との試合を始めたということを感じた。逮捕3日目、5月16日のことだ。
佐藤優氏の驚くべき記憶力は有名。政治記者から教わった「指折り法」(内容を指で折って記憶する)と、時計を見る、水を飲むなどといった相手の行動をアクセントにする「インデックス法」を駆使している。
国益を巡る情報戦、検事との攻防など、エスピオナージュとして読むことも十分可能だ。ジョン・ル・カレやフリーマントルが好きな人であれば一気に読める。
盟友の鈴木宗男氏が逮捕された時、佐藤氏は48時間のハンストを決行する。また、罪状を認めれば執行猶予がつくことが明らかであるにもかかわらず拒絶する。佐藤氏は情報公開された暁を想定し、「歴史の審判を仰ぐ」ことを獄中闘争の目標とした。
「鈴木さんへの義理はもう十分果たしたよ。あなたが他の外務省の人たちや業者と違って、最後まで鈴木先生と切れなかったのは、対露平和条約交渉の盟友だったからだ。あなたは友だちを裏切らないし、盟友を見捨てない。そういう人だ。でももう十分鈴木さんへの義理は尽くしたし、鈴木先生もそれはわかっているよ。もっと自分のことを考えないと。それから、あなたがいつまでもこんな中にいるとそれは社会的損失だよ。外交のことでも国策捜査のことでも、どんどん書いて問題提起をしていけばいいじゃないか」
当初の取り調べでは「鈴木」と呼び捨てにしていた検事も、佐藤氏の話を聞き、「鈴木さん」「鈴木先生」と敬称をつけるようになる。本書には示されてないが、佐藤氏はとにかくタフな人物だ。しかも、語り口はソフトでありながら、内容は明晰。検事が舌を巻いたであろうことは、容易に想像できる。周囲の外務官僚が次々と篭絡(ろうらく)される中にあって、佐藤氏は最後まで心を枉(ま)げなかった。
歴史が大きく動く時、歪みや裂け目が生じる。著者はそれを「国家の罠」と表現した。そこに、自分の仕事振りが認められなかった恨みつらみはない。国益のために身を捧げた人物が、国家によって犯罪者に仕上げられる。そんな矛盾をも飲み込んでしまうことが、佐藤氏にとっての国益なのだろう。