古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

『A型の女』マイクル・Z・リューイン

 全く酷いものだ。映画や書物につける邦訳タイトルの拙劣さは、これまでにも数多く指摘されてきたが、これなんぞもその最たるものだろう。更なる悲劇が文庫本の表紙を襲う。アメリカあたりの4コマ漫画から取ってきたような淡い色調のカットが、控えめに中央に配されている。購入してから数年間、手をつけなかったのもそのせいだ。実に不運な本と言わざるを得ない。だが、中身は違う。「ぼろは着てても心は錦」といったところだ。


 私は、宮部みゆきと相性が悪い。もちろん彼女に罪はない。そのことについて彼女と話し合ったこともない(当たり前だ!)。彼女の著作は『本所深川ふしぎ草紙』(新潮文庫)しか読んだことがない。この本の解説で池上冬樹が10ページにわたって宮部を絶賛している。「池上君サヨウナラ……」一読後、私は池上に別れを告げた。そんな経緯(いきさつ)があっただけに、本書の解説で池上の名前を見つけた時に「マズイ」とうろたえたのは確かだ。その上、彼が「3回読んだが、3回とも泣いてしまった」と書くに至っては「その手に乗るものか!」と固く身構えた。だが、数ページ読む内に私の杞憂は霧散した。「池上君、過去のことは水に流そう」穏やかな気持ちになって私は呟いた。

 昼食後に、重大な決断が待っていた──オフィスで読書するか、居間に残って読書するか、についての。


 この書き出しである。これはもう、ジャブを超えてショート・フックになっている。足に来るほど効いてしまった。《アルバート・サムスン》シリーズの幕開けだ。


 閑古鳥が鳴くサムスンの事務所に若い依頼人が訪れる。エロイーズと名乗った女性は16歳だと告げた。依頼内容は、自分の本当の父親を捜して欲しいとのことだった。未成年者の依頼に迷ったもののサムスンは調査を開始する。少女は富豪の娘だった。


 物語はサムスンの魅力的なキャラクターに率いられ静かに進む。軽口を叩くところなどはロバート・B・パーカーが描くスペンサーを思わせる。だが、決定的に違う点がある。サムスンは「拳銃が怖いから、簡単に怖気づく」ような探偵だった。この男は抜きん出た身体能力を持ち合わせていない。子供を喜ばせるスーパー・ヒーローではないのだ。ネオ・ハードボイルドにおけるアンチ・ヒーロー像の詳細については解説に譲ろう。


 サムスンの魅力を一言で表すならば《自分で自分を支配するタフな精神の持ち主》とでも言えようか。物事を選択する際の執着などはそれをコミカルに象徴している。

 早い昼食をとってひと休みするか、それとももう少し情報を集める仕事を続けるか、決めなければならなかった。

 昼食には、質と便利さのどちらかをえらばなければならなかった。

 問題は、(ネガの)焼付けを朝食前にするか、あとにするかだ。


 こうした些事への固執は、自分の意志に基づく選択によって、人生をコントロールしていることを確認する作業なのだろう。私も時たまやっている。余談になるが、心理学では、極限状況・危機的状況に陥った場合に、自分をコントロールしている自覚がある人は、ストレスが大きく軽減されるという。戦争捕虜や長期間にわたる人質となった人々の証言によれば、習慣化した行為の反復や、敵の要求を拒否することなどが、極めて効果的だという(ジュリアス・シーガル著『生きぬく力逆境と試練を乗り越えた勝利者たち日本実業出版社)。


 エロイーズの父親の事務所に侵入したサムスンが、警官に取り押さえられ留置場送りとなる。その後、足が着いてしまったサムスンはエロイーズの両親と直接話し合う。事実を娘の前で打ち明けた父親はゴシップを恐れ、5万ドルの小切手をサムスンに手渡し示談を持ちかける。エロイーズもこれに同意する。高額な小切手をポケットに入れたままサムスンの心は揺れる。

 銀行に行くのを邪魔していたのは、職業的な誇りが傷つけられるという気持ちだった。
 わたしは、人生に偽りの誇りを持たないようにしている。しかし、わたしは7年かけてこの仕事の基礎を築いている。こつこつ働くだけであまり金にならない仕事だが、やりたくないことはやらないできた。だから、だれかが割りこんできて、そんなことをさせようとしたら、それを麦芽入りココアのように黙ってのむわけにはいかない。


 サムスンは納得のゆくまで単独で調査を続けることを決心する。


 もつれ合った事実の糸が少しずつほぐれてきた頃、調査が続けられていることを知ったエロイーズが事務所を訪れる。

「なぜこんなことをしているの?」
「嘘をつかれるのが嫌いだからだ」


 ここにタフな男の真骨頂がある。単純であっても、自分が決めたルールは死守する。そのためであれば損得勘定も無視する。それは、決して上手な生き方とは言えないだろう。だが、失ってはならない何かを堅持することから誇りは生まれるのだ。


 解説に「暴力嫌いの市井人」とのサムスン評があるが、これは厳密に言えば「暴力を振るう」ことを苦手としているのだ。留置場に入れられた際、特別に電話をする許可を得たサムスンが、部長刑事の目の前で電話を掛ける。サムスンはあろうことか終夜営業の店の番号を回し「『チキンの丸焼きと、フライド・ポテトを市の留置場へ配達してくれるかい? 名前はダック、D・ダックだ』」と告げる。怒り狂った部長刑事は手の甲でサムスンを殴りつける。「わたしは心のなかで笑いながら、通りを横切った」。ここには暴力を振るわれることへの臆病さは微塵もない。最終盤で怪我を負った後も、普通であれば抱くであろう恐怖感を感じさせない。


 ミステリであることを忘れてしまうほど、物語は静かに進む。サムスンの機知にたびたびニヤリとさせられながら。しかし、最終盤でアッと驚く急展開が炸裂する。それにしても1971年に発行された作品でありながら、いささかも古さを感じさせない。


 孤独な中年男性と孤独な少女が寄り添うラスト・シーンには、涙を禁じ得なかった。


 私が最近読んだものではドン・ウィンズロウ著『ストリート・キッズ』(創元推理文庫)、ジョン・ダニング著『死の蔵書』(ハヤカワ文庫)以来の秀逸なミステリだ。この秋、孤独の至福を味わいたい方は是非ご一読を。



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