古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

自分のルールに従う生き方/『名残り火 てのひらの闇II』藤原伊織

 私の知る限りでは遺作が傑作であった例(ためし)がない。作家に寄せる思いが「美しい誤解」を生むことは確かにある。逆に言えば、遺作が駄作であった方が読み手はあきらめがつくというものだ。老いて、病んで、そして力尽きて死んでゆく――これが自然の摂理だ。


てのひらの闇』(文藝春秋、1999年)が刊行されてから、もう10年が経つ。読み終えた後の衝撃は今も尚、心のどこかに余韻を残している。


『名残り火』という本書のタイトル通りの出来だと思う。つまり、前作の名残り火。音楽や絵画、そして食事メニューといったチョイスにまで、あざとさを感じてならなかった。通俗的すぎて、とても趣味がいいとは言えない。


 脇役も出来すぎていて、人物の陰影に乏しい。三上の結婚話に至っては、昔の少女漫画を思わせるほど。柿島奈穂子は、まるでヴィーナスそのもの。かような登場人物のせいで、童話みたいな不自然さがつきまとっている。


 だが、それでも面白いのだ。それでも藤原伊織藤原伊織なのだ。藤原が描く男は、おしなべて自己評価が低く、自分を半端者としか思っていない。というよりも、世間の評価というものを嫌悪している節すら窺える。また、相手がどのような人物であろうと臆するところがない。これを暴力シーンに象徴させている。そして、道に外れた行為を絶対に許さない。

「肉体的な問題ではない。なすべきか、なすべきでないか。どちらかを決定する自身のルールの問題なんだよ」


【『名残り火 てのひらの闇II』藤原伊織文藝春秋、2007年)】


 自分が何かをすることで「よく思われたい」と願うのが人の常である。我々はいつだって、世間の中で生きている。社会の力学に従い、強い者に従い、割り振られた役柄に従っている。


 だが、藤原作品に登場する男は違う。彼が従うのは「自分のルール」だけだ。そのためとあらば、法律すらあっさりと無視できる。しかし、彼は一仕事を終えても、決して「正義」を主張することはない。彼は理念に生きているわけではなかった。ただ、「許せないもの」と闘った。


 ここまで記して初めて気づくのだ。藤原伊織が描く人物が「現代の僧侶」ともいうべき性質をはらんでいることを。多くの人々が共感せざるを得ない生き方は、阿羅漢の悟りに等しい。


 藤原伊織はいくつもの大きな花を咲かせ、そして舞い落ちる花びらのような本書を残して旅立っていった。謹んでご冥福を祈る。