・神秘時代のクリシュナムルティ
・『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編
クリシュナムルティが14歳で記した一書。マスター・クートフーミからのお告げとされている。神智学協会の重要なテキスト。
この本についてはクリシュナムルティ自身も否定的で、後の教えとは無縁なものと考えるべきだ。ニューエイジ志向の連中は高く評価しているようだが、所詮インチキ宗教に拾われた少年が書いたものに過ぎない。萌芽は見受けられるが、拠(よ)って立つ基盤が異なることを弁えるべきであろう。
というわけで、これからクリシュナムルティを読もうと思っている人は、この本から入ってはいけない。
この本に書いてあることは私の言葉ではありません。私を教えてくださった大師のお言葉です。(はしがき)
【『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ/田中恵美子訳(竜王文庫、1982年)以下同】
このあたりの件(くだり)については、メアリー・ルティエンスの『クリシュナムルティ・目覚めの時代』が詳しい。要は霊界みたいなところへ意識が飛んで行って、マスターなる神様からのお告げを受けたってな話だ。
クリシュナムルティが悟りに達したのは1922年8月のことで、神智学協会が彼のために設けた「星の教団」を解散したのが1929年の8月である。この二つの出来事以前については重きを置くべきではないというのが私の考えだ。なぜなら、神秘宗教・オカルティズムを超脱したところにクリシュナムルティの本領があるからだ。
いみじくも本書には「オカルティズム(密教)」と書かれている。つまり、欧米でスピリチュアリズムと受け止められているのは密教的飛躍であり、密教の影響を色濃く反映している鎌倉仏教はおしなべてスピリチュアリズムの範疇に貶(おとし)められてしまうのだ。
ここを見誤ると、今度はクリシュナムルティを神に祭り上げてしまうようになる。彼が弟子の存在すら否定したことを軽々しく考えてはいけないだろう。
それでも十代の少年とは思えぬ言葉で真理を突いている。
肉体はあなたの動物、あなたが乗る馬です。だから肉体をうまく扱い、よく世話をしなさい。使いすぎてはいけません。清浄な飲食物だけを適切に与えなさい。また、ちょっとした汚れもない様にいつも完全に清潔にしておかねばいけません。
彼は晩年に至るまで朝の散歩を欠かさず、アルコール類や煙草から食料に至るまで刺激物を避けた。生涯にわたって肉体を調教していた。
あなたは真実と虚偽を見分けなければいけません。思想、言葉、行為のどれもが真実である様に学ばなければいけません。
これは後のクリシュナムルティの教えの基本ともなる考えだ。「虚偽を虚偽と見、虚偽の中に真実を見、そして真実を真実と見よ」という言葉は『生と覚醒のコメンタリー』で何度も出てくる。虚偽を虚偽と見抜く中に真実があるのだ。
クリシュナムルティは完全に現在に生きた。それは同時に過去を死なせることであった。このため彼の記憶は大半が欠落していた。弟ニティヤの死すら曖昧な記憶しかなかった。幾度となくこの本の質問をされているが、彼は「覚えていません」と一蹴するのが常だった。
本書の後半にはメイベル・コリンズという女性が綴ったものとなっている。これまた神のお告げらしいが、興味深いものを紹介しよう。
(1)野心を殺せ
(2)生命への欲望を殺せ
(3)慰安への欲望を殺せ
(4)野心のある者の如く働け。生命を望む者がなす如く生命を大切にせよ。幸福を求むる者の如く幸福なれ。
(5)あらゆる隔絶感を殺せ。
(6)感覚に対する欲望を殺せ。
(7)成長への渇望を殺せ。
(8)略
(9内なるもののみを望め。
(10)君を越ゆるもののみを望め。
(11)獲得出来ぬもののみを望め。
(12)略
(13)熱烈に力を求めよ。
(14)熱心に平和を望め。
(15)凡てに勝る財産を求めよ。
(16)略
(17)道を探求せよ。
(18)内に退くことにより道を求めよ。
(19)大胆に外に進み出て道を求めよ。
(20)略
(21)嵐のあとの沈黙の中ではじめて咲く花を求めよ。
(句点の有無はママ)
人間の脳は短文命令形に弱い(笑)。多分、大胆な省略を認めて勝手な連想が働くためだろう。トール・ノーレットランダーシュがいうところの外情報だ。
いずれにしても懐疑や吟味に耐える言葉であれば、何らかの真理を含んでいると考えてよかろう。大切なのは言葉で示された内容である。
・真実を真実と知り、真実でないものを真実でないと見る
・うその中にうそを探すな ほんとの中にうそを探せ