古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

個人と世界との断絶/『テロル』ヤスミナ・カドラ

 水晶の如く硬質で透明な文体、時折奏でられる叙情、そして一筋縄ではゆかないストーリーを揺るがぬ構成が支える。これがヤスミナ・カドラの世界だ。アルジェリア軍の元将校が描く物語は、ピアノソロのように流麗で、控え目に弦楽器が配されている。あるいは、「砂漠の中に突如現れた氷像」さながらだ。


 主人公のアミーンはイスラエル帰化したアラブ人医師だ。最愛の妻が死んだ。しかも自爆テロを行ったという。原理主義者でなかった妻がなぜ? 昨日までの幸福な世界は消え去った。それどころか、アミーンまでもが共謀者として疑われた。やっとの思いで容疑は晴れたものの、街角にいたイスラエルの群衆はアミーンを袋叩きにし、家をも破壊しようとした。


 アミーンは自爆テロの真相を調べるべく、一人立ち上がった。イスラエルからもパレスチナからも裏切り者扱いされながら。


 主人公の微妙な立場が、イスラエルパレスチナの憎悪を巧みに炙(あぶ)り出している。不信が渦巻く中でアミーンはひたすら妻を信じ続けた。痛々しい姿ではあったものの、彼は怒りに衝き動かされていた。それは、何の断りもなく一瞬にして人生を滅茶苦茶にした不条理に対するものであった。

 街のはずれに入ったところで、ちょうど日が落ちた。道沿いで目に入った最初のホテルの前で車を停めた。家に戻り、偽りとともに暮らしていくなどできなかった。車での移動のあいだ、世界と自分自身を罵り、アクセルペダルを目一杯踏みつけていた。凄まじい振動とともにタイヤがきしみ、その音がヒュドラの断末魔のように私のなかで響きわたった。まるで音速の壁を越えようと必死になり、帰還不能地点を越え、自尊心の崩壊のうちにおのれを打ち砕こうとしているようだ。私をどこかに引きとめ、明日の世界と和解させることができるものなど、何ひとつ存在しない。そもそも、どのような明日が待っているというのだ。偽りののちに命があるというのか、辱めののちに復活があるというのか。自分がくだらない人間に思えた。あまりにも自分が滑稽で、自分の運命に同情しようなどと考えれば、その場で絶命してしまいそうな気がした。


【『テロル』ヤスミナ・カドラ/藤本優子訳(早川書房、2007年)】


 イスラエルパレスチナという断絶した世界を往来しながら、アミーンは真相に迫る。妻のことを誰よりも知っていたのは自分であった。そして、理解していないのも自分であった。断絶は民族と民族との間に、そして夫と妻との間にも存在した。


 人間の生に新しい息吹を与えるはずの思想が、思想のもとに党派性をつくり出す。その時、思想・宗教は単なるレッテルと化す。レッテルは差異を強調してやまない。敵味方を峻別する道具となり下がる。


 ガッサーン・カナファーニーユースフ・イドリースは確かにパレスチナの現実を描いているのだろう。彼等が紡ぎ出す圧倒的な暴力は、読む者をして報復へと駆り立てる。弱き者への共感が正義という名の力を渇望させる。このようにして暴力の連鎖はとどまることを知らない。


 ヤスミナ・カドラは抑制された視点で、双方の欺瞞を見つめている。しかも、もう一つの罠が仕掛けられていて、アミーンが医師である以上、社会的弱者を象徴する人物とはなり得ない。多くの貧しいアラブ人であれば、泣き寝入りするしかなかったことだろう。


 この物語が描き出しているのは「個人」と「世界」との断絶である。そして、神はどこにも存在しなかった。