古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

暴力が破壊するもの 3/「黒い警官」ユースフ・イドリース(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』所収)

『アラブ、祈りとしての文学』岡真理

 ・暴力が破壊するもの 1
 ・暴力が破壊するもの 2
 ・暴力が破壊するもの 3

必読書リスト その二


「私」とシャウキーは、往診のためアッバースのもとを訪れる。アッバースの夫人に病状を確認している最中、奥の部屋から突如叫び声が上がった――

 我々が突如襲われたものというのは叫び声だった。と、最初我々は思った。だが、それはやがて長く尾をひき、別種のものへと変じていき、獣の吠(ほ)える声に似たものとなっていった。もし我々が森とか畑にいるのなら、狼(おおかみ)の吠える声だと考えて、ことは落着しただろう。だが我々は今カイロの街の直中(ただなか)にいるのだ。そしてそこの一軒の家の中にいて、狼の吠える声を聞いているのだ。それは一人の男から発せられている声なのだ。人を恐(こわ)がらせようと冗談でやっているのではなく、本当に吠えているのであり、吠えることによって内に潜んでいて、彼自身を切り刻むものを外へ吐き出そうとしているのだ。彼はもはや本当の狼の声と自分の声とを、ほとんど区別できなくなった吠え声をただ果てしなく続けることによって、内に潜むものを何とか拭(ぬぐ)い去ろうとしていた。



【「黒い警官」ユースフ・イドリース/奴田原睦明〈ぬたはら・のぶあき〉訳(『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』1991年、所収)以下同】


 思うがままに暴力を振るった「黒い警官」は既に廃人と化していた。アッバースと対面したシャウキーは、もはや無気力な男ではなかった。

 ――アッバース・マフムード・アルザンファリーなのか?
 シャウキーの口から、轟(とどろ)くような叫び声が発せられ、すぐその後に別の叫び声が続いた。
 ――何とか言え。
 私はシャウキーがこれほどまでに大声を上げて叫ぶのを耳にしたことは絶えてなかった。またこのように均衡を失った彼を見たこともなかった。
 私の内には歓喜がこみ上げてきていた。願望が現実になりつつあったのだ。何年もの間捜し求めていたあの声が私を歓喜させ、同時に不安にもさせた。というのは、その時シャウキーの目からは異様な光が発せられていたからだ。次第に私の歓喜はこれだけではすまないぞという、恐怖感と混じり合い始めた。


 シャウキーは蘇生した。遂に「殴り返す時」が到来したのだ。それは疑問の余地がない報復だった。しかし暴力ではなかった。アッバースが狂気に避難することを、シャウキーは許さなかった。

 ――馬鹿のふりをしても駄目だぞ!……忘れたふりなんかするんじゃないぞ!……あの牢獄(ろうごく)を忘れたのか?……朝から5時までぶん殴ったこと覚えてないのか?……あの9階を忘れたのか?……棍棒(こんぼう)はどこへやった?……鞭(むち)はどこへやった?……あの血のことは覚えていないのか?……お前のあの鞭はどこにあるんだ? 何処へ隠したんだ?……この獣め! あの喚き声はどうした?……鉄を打ち付けたあの半長靴はどこへやったんだ?……お前の拳(こぶし)はどこへいった? お前の指は?……あの火はいったい何処なんだ?……俺を見て、なんとか言ってみろ! 話してみろ! 喚いてみろ! 忘れたふりをするつもりか? よし、それなら、思い出させてやるぞ! 今すぐにな!
 あのごく短い、瞬きをするしかないかの間にどうやってシャウキーはジャケットとシャツを脱ぎ、下着をたくし上げ、背中を見せることができたのか、私には分からない。だが、それを見た者は如何なる恐怖に襲われたことだろうか?
 彼の背中にはどこにも皮膚または、皮膚らしきものが一カ所とてないのだ。そこで皮膚というのは、縦横に延びる傷痕で、それらは隆起した瘢痕(はんこん)と抉(えぐ)られたそれとの集積で、深く抉られた底には肋(あばら)の骨が見えるかと思うばかりだった。その様はすさまじいもので、一目見た者は体の中を虫唾が走るのを覚えずにはいられないほどだった。それは単に見かけからのみそうなるのではなく、そうあらしめた残忍非道な行為を思い抱かせる故であった。それはあたかも狂った狼か、あるいは悪鬼の類が牙(きば)や爪をシャウキーの背中でほしいままにして、爪を立て、引きちぎり、噛(か)み裂いたかのようであった。
 1秒の何分の1かと思われる間に、彼はそうしたのだった。そして彼はくるりアッバースの方へ向き直って、彼を見つめ、なおも叫んだ……
 ――この俺を忘れたとしても、これは忘れられないはずだぞ! お前がしたことは忘れられんはずだぞ! さあ、思い出したか?
 突如そうしたように、彼はあっという間に背中を覆い隠し、彼の方を振り向きざま、叫んだ。
 ――ようく考えるんだぞ! いいか! 俺は忘れはしないんだぞ! 誰一人忘れる奴なんかいないんだぞ! 誰一人な! 言ってみろ! 話してみろ! 喚くんだ! 覚えているって言うんだ! 言え!
 私は目の前で生じている事態にただ愕然としていた……シャウキーの喚く様に。甲高く神経を逆撫(な)でして響きわたる声に。きんきんとつり上がっていく喚き声に。そこで吐き出された言葉の意味に。
 だが、やがて彼の発する言葉は、不鮮明で不可解なものになり、どういう訳かきんきん甲高くなってついに言葉としての形態を失っていった。そしてついに、彼が発するものは皆、それが憎悪なのか、呻きなのか、苦痛なのか、号泣なのか分からぬが、とにかくそれから成る長く繋(つな)がった一本の糸となってしまった。いったいどのようにしてその糸は捩(ねじ)れ、咆哮(ほうこう)に似たものに変形していったのだろうか? 否、それはまちがいなく咆哮そのものだった。戦(おのの)き震え、必死で助けを求める、極限的苦痛を嘗(な)めさせられた者にしか発せられぬ咆哮だった。その苦痛は人間にはもはや耐えられぬもので、喉(のど)から訴えられるのではなく、肉体自身、肉や骨や神経が訴えるのだ。苦痛はそれらを強いて、最後の死にものぐるいの絶叫を絞り出させるのだ。
 恐るべきことは、これらすべてがシャウキーから発せられているということだった。


「一本の糸」――暴力にさらされた者の叫び声は一本の糸と化した。一本の糸は高音を発して振動していた。言葉は既に意味を成さなかった。思考でもなく、概念でもなく、善悪でもない。シャウキーが発したのは“生命の波動”だった。不条理に意味は存在しない。不条理に対して「なぜ?」と問うのは愚かなことなのだ。不条理は突然やってきて、あっと言う間に走り去ってゆく。不条理は“不条理な事実”に過ぎない。そして、その不条理に対して抵抗しようとする時、人間は一本の糸が振動するような反応しかできないのだ。だが、何という振動であろう! 虐げられた者が発する振動は、時間や距離を越えて人々の心を共鳴させる。


 無表情だったアッバースが、ベッドの縁へ後ずさりし身を丸く縮める。人間がこれほど小さく丸まれるのかというほど縮まってゆく。そして今度はアッバースが叫び始める。シャウキーの咆哮と交わり、遂にシャウキーを黙らせる。するとアッバースは「ワウワウ」と犬のように吠え出した。それから彼は自分の身体に爪を立て、殴り始めた。更に自分の腕の肉を噛み千切った。

 血は唾(つば)と混ざりながら、口から滴り落ちていた。ぱくりと開かれた口から剥き出しとなった歯の間に、血だらけの肉片があった。彼が自分の腕から噛み切った肉片だった。彼の腕は依然として膝の上の元の所にあった。そして噛み切られたところは見るも無残な傷痕を残していた。アッバース・アルザンファリーは上下の歯の間に肉を噛んだまま、肉に籠(こも)った声でワウワウと吠えたが、まるで声そのものから血が滴り落ち、血が彼の吠え声を濡らし、息詰まらせているかのようだった。


 暴力はアッバース自身を滅ぼした。暴力を振るわれた側は部分的に死んでゆく。そしてまた、暴力を振るった側も行使した時点で部分的に死んでいるのだ。暴力とは“小さな死”を容認することである。人間の死を操る行為といってよい。ここにおいて、死は「操作されるもの」となる。死の意味合いは軽んじられ、生をも翻弄する。


 アッバースもシャウキーも二度と人間に戻ることはできなかった。イドリースはものの見事に暴力を描いて、読者に暴力的な満足を与えている。「ざまあみろ」と少しでも思った瞬間に、読者はアッバースと化すのだ。何というパラドックスだろう!


 この作品が生まれざるを得なかったアラブ世界の苛酷さに思いを馳せる。そして、世界に存在する「何億本もの糸」を思わずにはいられない。


 1962年の作品。岡真理が『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房、2008年)で卓抜な解説をしている。



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