古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ユダヤ人移民は分割統治の道具

 ヨーロッパ植民地主義の支援のもとに目的を遂げようとしたシオニズム運動は「アジアに対するヨーロッパの防壁となり、野蛮に対する文明の前哨」(ヘルツル『ユダヤ人国家』)としての役割を果たすと約束し、ユダヤ人国家設立を支持してくれるよう、諸国に頼んだ。
 やがてイギリスは、ユダヤ民族郷土(ナショナル・ホーム)の建設の後ろ盾となることを約束する「バルフォア宣言」(1917年)を出す。イギリスは、この宣言と引き換えにユダヤ人の第一次大戦での協力をとりつけたのである。このバルフォア宣言によって、パレスチナ人の悲劇が、ほぼ確定したといってよい。


【『パレスチナ 新版』広河隆一〈ひろかわ・りゅういち〉(岩波新書、2002年)以下同】

 パレスチナ地方を支配するために、イギリスは、外部から対立要因をもちこむことにした。ヨーロッパで迫害にあっているユダヤ人たちのパレスチナ入植を支援し、現地のパレスチナ人と対立させようと考えたのである。

「分割して統治する」をモットーとするイギリスは、基本的にはユダヤ人移民を歓迎した。ヨーロッパからの移民は、イギリスの後ろ盾を受けて入植してきたし、彼らが現地に住むパレスチナ住民と摩擦を起こすことは、イギリスにとっては有利なことだったからである。独立を求める強いアラブは、望ましいものではなかった。パレスチナ内部に撹乱要因をつくって、消耗させることが必要だったのだ。


パレスチナ新版 (岩波新書)