〈狐〉こと山村修はとにかく文章がいい。多分、敢えて易(やさ)しい言葉を使い、意図的に豊穣なる部分を割愛しているはずだ。このようにして彫琢(ちょうたく)を極める文体が生まれる。
以下は、岡田英弘著『世界史の誕生』(ちくまライブラリー、1992年)を評した一文――
歴史を考えるとき、モンゴルのように、それまで周縁的としか思われてこなかったもの、むしろ排除されてきたものを軸として、歴史の見かたをガラリと転回させることができる。『世界史の誕生』を読み、私はそのことに感動するのです。史料の徹底的な探索をもとに、だれも思いもしなかった方向へ歴史イメージをかえてしまう。地道な学問的努力と、史的想像力の切っ先のするどさに心を打たれるのです。
本書で紹介された作品をいくつか読んだが、『世界史の誕生』が一番面白かった。歴史とはパラダイムそのものであり、歴史の中心軸を転回することはそのままパラダイムシフトとなる。
それにしても、「史的想像力の切っ先のするどさ」という表現がお見事。岡田本を読んだ人なら、誰もが膝を打つはずだ。山村修の言葉はモヤモヤを払拭してくれる。脳内のシナプスが交通整理されたようなスッキリ感を味わえる。
ただし注意点が一つあって、山村の文章に酔い痴れるあまり、紹介されている本に次々と触手を伸ばすと、「何だよ!」ってなことになりかねない。本の選球眼に関しては私に分(ぶ)がある(笑)。
・世界史は中国世界と地中海世界から誕生した/『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』