発売当初から絶賛された書評集を今頃になって読んだ。ウーーーム、確かに凄い。奇をてらったものではなく、それなりに王道だと思った次第。ただ、言い回しがキャピキャピしているので、「パワーアップした中野翠」といった感がある。
とにかく、本の海を泳ぐのが巧み。一見すると、茶目っ気が毒舌を和らげているようにも見えるが、「計算されたあざとさ」にも見える。
そもそも芥川賞・直木賞とは何なのか。選考委員が全員作家である(批評家がいない)点に注目したい。つまり両賞は、新しい作品を見きわめて励ますためのものではない。新人作家の中から自分たちの仲間に入れてやってもよさそうな人材を一方的にピックアップする、一種の就職試験なのですよ。選考委員はいわば文壇の「人事部」で、だからこそ受賞予備軍の人たちが結果に一喜一憂したり、受賞者が記者会見で大袈裟な挨拶をしたりするんだよね。とすれば、私ごときが○×つけたりすること自体、越権行為も甚だしい。会社の人事のことは社内の人に任せるしかない。
「就職試験」と馬鹿にしておいてから、自分が書評することを「越権行為」と位置づけている。慇懃(いんぎん)な態度に出ることで、更に馬鹿にしているのだ。
わかりやすい文章でサクサク読めるのだが、段々疲れてくる。それは、斎藤女史の優れた知性に、数々の本も読者もついて行けなくなるためだ。知性は往々にして「鋭い批判」となって鉈(なた)を振るう。どうしても批判が多くなるため、こっちの頭が殴られ続けるサンドバック状態となるのだ。そして、紹介されている本に食指が動かなくなる。ただただ、斬り捨てられた本に対して合掌し、瞑目するのみである。南無――。
それでもね、内容の本質を数行で言い表す力は凄いよ。しかもこの本が上梓された時、斎藤女史は42歳だから、今の私よりも若いことになる。恐るべき逸材といっていいだろう。
それと、タイトルが『読者は踊らされる』となってないところがミソ。飽くまでも読み手の主体性を重んじる気風が感じ取れる。
佐藤優氏と対談させてみたいね。異才同士が放つスパークに、二日酔いさせられそうで興味深い(笑)。