古本屋の覚え書き

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インドに歴史文化がない理由

『世界システム論講義 ヨーロッパと近代世界』川北稔

 インド文明には都市があり、王権があり、文字があったのだから、歴史も成立してよさそうなものである。それなのに、歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。
 イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、仏教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻(サンサーラ)の思想が特徴である。六道の衆生(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6種類の生物)は、それぞれの寿命が終わると、生前に積んだ業(カルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初から最後まで経験する。この過程は、繰り返し繰り返し、永遠に続くのである。この考え方で行くと、本来ならば歴史の対象になる人間界の出来事は、人間界の中だけで原因と結果が完結するのではなくて、神や、鬼や、幽霊や、ほかの動物や、死者たちの、人間には知り得ない世界での出来事と関連して起こることになる。これでは歴史のまとまりようがない。その上、この考え方では、時間の一貫した流れの全体は問題にならなくて、そのどの部分もそれぞれ独立の、ばらばらの小さなサイクルになってしまう。つまり、初めも終わりも、前も後もないことになって、ますます歴史など、成立するはずがない。
 もう一つ、インド文明に歴史がない原因として考えられるのは、カースト制度の存在である。カースト制度の社会の生活の実感では、自分と違うカーストに属する人間は、同じ人類ではなく、異種類の生物である。しかもそのカーストは際限なく細分化して、ほとんど無数にあるものなので、カーストの壁を越えた人間の大きな集団を扱うのが性質の歴史は、こういう社会ではまとまるはずがない。カーストを認めないイスラム教が入って来て、初めてインドで歴史が可能になったのは、その証拠である。


【『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】


世界史の誕生 (ちくま文庫)