古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

空間内に絶対的位置は存在しない/『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・ホーキング

 ・空間内に絶対的位置は存在しない

『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン
『ブラックホール戦争 スティーヴン・ホーキングとの20年越しの闘い』レオナルド・サスキンド
『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック
『サイクリック宇宙論 ビッグバン・モデルを超える究極の理論』ポール・J・スタインハート、ニール・トゥロック
『宇宙が始まる前には何があったのか?』ローレンス・クラウス


 スティーヴン・ホーキングが書いた一般向けの最先端宇宙論。思ったよりも、わかりやすい。そして、神に対する揶揄(やゆ)がそこここに散りばめられている。


 アリストテレスが葬られた。『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』という書物によって。犯人はニュートンだった――

 静止の絶対的基準が存在しないことは、違う時刻に起きた二つのできごとが、空間の同じ位置で起きたのかどうか決定できないことを意味する。たとえば、列車上でピンポン玉がまっすぐ上にはねかえって、テーブルの同じ場所に1秒のへだたりを置いて2回ぶつかったと考えよう。線路上にいる人にとってみれば、この2回の衝突はほぼ40メートル離れた場所で起きている。というのは、玉が2回ぶつかる間に列車がその距離だけ動いているからである。アリストテレスは一つ一つのできごとに空間内で絶対的な位置を与えることができると信じていたが、絶対的静止が存在しないことは、それが不可能であることを意味する。できごとの位置とできごとの間の距離は、列車上の人と線路上の人とでは異なっており、一方の見方を他方の見方よりも優先させる理由はないのである。


【『ホーキング、宇宙を語る ビッグバンからブラックホールまで』スティーヴン・ホーキング/林一〈はやし・はじめ〉訳(早川書房、1989年)】


 絶妙な例えだ。もし宇宙人が観測すれば地球は時速1700kmほどで自転しながら、更に時速11万kmで公転していることになる(「月探査情報ステーション」による)。もっと凄いのは、銀河系の外側にいる宇宙人から見れば、太陽系ですら約2億2600万年かけて銀河系を一周しているのだ(Wikipediaによる)。ピンポン玉が認識できるとすればの話ではあるが。


 アリストテレス自然学はトマス・アクィナスによってキリスト教に結びつけられた(13世紀)。そして教会に受け入れられ、数百年にわたって科学の進歩を妨げてきた(チャールズ・サイフェ著『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念早川書房、2003年)。ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて異端審問(宗教裁判)にかけられたのも、アリストテレス学派と対立したためだった。


 ニュートン力学が絶対的位置という概念にとどめを刺した。そして今度はニュートンアインシュタインに襲われる。相対性理論は絶対時間を排除してしまった。光速に近づけば近づくほど、観測者から見れば時間はゆっくりと流れる。


 結局のところ科学の進歩というのは、「どの位置からピンポン玉を観測するか」という問題と同じ意味を持つことがわかる。


 多分、人生も一緒なのだろう。E=mc2乗という式が示唆しているのは、“人生の質量”であり、“思想の質量”なのだろう。そして、空間内には絶対的位置がなかったとしても、思想・哲学の座標軸は必要であるというのが私の考えだ。