古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

超ひも理論の危うさ/『迷走する物理学 ストリング理論の栄光と挫折、新たなる道を求めて』リー・スモーリン

 ストリング理論とは超ひも理論のことで超弦理論ともいう。


 細かい話である。原子よりもはるかに小さな世界だから、それも当然。1ミリの1000万分の1だってさ。宇宙を構成する最小物質が粒子ではなく、振動するひもであるというのだ。しかも、この世界は十次元から成っていて、三次元+時間以外の六次元は小さすぎて我々の眼には見えない。


 ウーム、細かい。細かいもんだから神経質にならざるを得ない。アインシュタイン一般相対性理論量子力学は相容れなかった。マクロとミクロの世界の力学が異なってしまった。光は粒子として観測されたが、波の作用を示していた。シュレーディンガーが方程式を表した。アインシュタインが噛みついた。「神はサイコロを振らない」と。ハイゼンベルク不確定性原理で逃げ切ろうとした。(※「近未来最先端軍事テクノロジー」を参照した)


 そういうわけで(どういうわけだ?)、大統一理論のための苦肉の策が超ひも理論だと私は考えている。本書は理に傾きすぎた超ひも理論に対して警鐘を鳴らす――

 問題はそれだけではない。ストリング理論は、鍵を握るいくつかの予想に依拠しており、その予想については、いくらかの証拠はあるが、決め手となるほどの証拠はない。さらに悪いことに、この研究には科学者の手間がこれほどかけられているというのに、「ストリング理論」という名で通用しうるような、完結して筋の通った理論があるかどうかもわかっていない。われわれが手にしているのは、じつは、そもそも理論などではなく、近似計算の膨大な集合であり、それとともにからみあういくつかの予想があって、その予想が正しければ、理論の存在を指し示すことになる。しかしその理論は実際にはまだ書き下ろされてはいない。その基本原理が何かもわかっていない。どんな数学的言語があればそれが表せるかもわかっていない――たぶん、それを記述するには、新しい数学を考えなければいけないのだろう。基本原理と数学的に明確な表し方がないので、ストリング理論が何を言っているかも言えない。


【『迷走する物理学 ストリング理論の栄光と挫折、新たなる道を求めて』リー・スモーリン/松浦俊輔訳(ランダムハウス講談社、2008年)】


 リー・スモーリンは量子重力理論を専門とする学者である。誠実な態度、真摯な反省が本書には込められている。


 結局のところ、科学の進歩は実験で検証できない世界に突入したということなのだろう。つまり、想像力で補わなければ説明できない地点に到達しつつあるのだ。では、解明できた先には何があるのか?


「神」だよ。「神」以外に考えられないわな。つまり、科学+想像力によって、この世界は神の創造物なのか、あるいは神がインチキ野郎なのか、はたまた神なんて最初っからいなかったのかがわかるに違いない。


 結論――科学は宗教と同じ町内に引っ越して来た。翻って宗教側に突きつけられているのは、科学的な態度で神の側から世界を説明することである。