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龍樹、世親は『法華経』の本質をつかんでいない/『蓮と法華経 その精神と形成史を語る』松山俊太郎

    • 龍樹、世親は『法華経』の本質をつかんでいない


 松山俊太郎はサンスクリット学者という立場で蓮の研究をしている人物。

 法華経とは妙法蓮華経の略であるが、この「蓮華」に関する考察が対談形式で述べられている。要となっているのは「白蓮華」と「紅蓮華」の違い。そして、「白蓮華」が象徴しているものは何か。


 松山俊太郎の手に掛かると、龍樹や世親すらバッサリ切って捨てられる――

松山●わたくしの見るところでは、『大智度論』の作者とされる龍樹や『法華経論』の作者とされる世親は、ともに大学匠でありながら、『法華経』の本質を掴んでいません。
 その原因は、〈法華教団〉の滅亡のために、『法華経』の〈秘密の口伝〉が、二人の耳まで届かなかったからだと考えられます。
 この〈秘伝〉の亡佚(もういつ)のために、中央アジア出身の羅什三蔵は、『法華経』梵本の文面に〈不充足〉を感じざるをえず、漢訳するに当たって、いささかの粉飾を敢えて施しましたし、その羅什訳『妙法蓮華経』に基いて、天台智ギは、インドの原作者たちが思いも掛けなかったような、壮麗な思想体系を築き上げました。
 もしインドの〈法華教団〉が後代まで存続していれば、教団の内部で保持してきた知識をもとに、『法華経』の〈注釈書〉や〈解説書〉が著されたはずですから、好くも悪しくも、『法華経』の解釈は、インド色の強いものに狭められたでしょう。
 そうなると、智ギの思想体系も、まったく成立しなかったか、成立しても、現存のものとはまったく違ってた可能性が大きいと思います。
 また、中国にも日本にも、『法華経』を研究する学僧は跡を絶たなかったのですが、『法華経』の広宣流布を実践したのは、日蓮が始めでしょう。もしかすると、インドの〈法華教団〉は、広宣流布を実行に移す前に亡びてしまったのかもしれませんから、日蓮が世界史上で最初の〈広宣流布の実現者〉である公算はかなり大です。しかも、今日、『法華経』がアジア以外の地域に広がりつつあるのは、ほとんどすべて日蓮の流れを引く人々の活動によるのですから、インド人の夢を、日本人が主体となって果たしていることになります。
 さらにいえば、天台智ギの業績は、『法華経』の秘奥まで見抜いていないために、あえていえば〈創造的誤解の産物〉といった観がありますが、日蓮は、そのインド人では達成できなかった部分を吸収するとともに、鍵なしで鍵の掛かった扉を自在に開けるようにして、〈不生不滅の妙法蓮華経〉まで洞察しています。
 その辺までは、わたくしにも推測できるようになったつもりですが、それから先のことは想像もつきません。
 こうして三国の〈『法華経』受容史〉をたどってみると、インドで一度、『法華経』の信仰が絶えたことが、『法華経』と人類にとっては、むしろ幸運だったのではないかと思われてきます。


【『蓮と法華経 その精神と形成史を語る』松山俊太郎(第三文明社、2000年)】


 法華経が革新的であったために、法華経を構築したグループが「聞いただけではわからない仕掛け」を盛り込み、その鍵を「口伝」として真正の行者にだけ伝えた。そして、その鍵こそ「白蓮華」である。これが松山の主張だ。凄い。凄過ぎる。だって、松山は龍樹ですら窺い知ることのできなかった法華経の真意に辿り着いてしまっているのだ。


 松山の最大の武器は、文献学的考証に立脚しながらも、原理主義の陥穽(かんせい)に落ちていないところにある。自由闊達な対談は、まるで床屋談義の趣すらある。


 法華経の各品(かくほん)が形成された時系列にまで考察が及び、研鑚の凄まじさを知ることができる。


蓮と法華経 その精神と形成史を語る