古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

拘置所は時空を制限する/『死刑囚の記録』加賀乙彦

 社会といえば聞こえはいいが、所詮「群れ」である。それは進化論的に見れば、「生きてゆくための群れ」に他ならない。で、コミュニティ(群れ)の目的は食糧確保と子孫を残すことだ。類人猿の代表選手であるチンパンジーの世界ですら、敵と認識されれば殺されることになる。異なる群れの場合は、メス以外全員が殺害される。遺伝子のエゴイズムは情け容赦のない暴力として作動する。

 本来、法律はコミュニティを破壊する者を罰し、社会から隔離するかどうかを判定するものであったのだろう。それがいつしか、人間よりもでかい顔をするようになってしまった。法廷は互いの権利を叫び、相反する利害を調整する場になっている。

 拘置所、それは国家が在監者を拘禁し、戒護し、厳格な紀律にしたがわせる場所である。在監者の側からいえば、時空にわたっての、あらゆる自由が制限されるところである。囚人に残された最後の自由、生きることまでが制限されているのが死刑確定者なのである。


【『死刑囚の記録』加賀乙彦中公新書)】


 罪を犯した者が社会から隔離され、自由を奪われるのは当然だ。しかし、人間が人間を裁く以上、完全無欠ということはあり得ない。少なからず冤罪(えんざい)というケースも散見される。


 折りしも、今年の5月21日から裁判員制度が実施される。法律に無知な国民の判断は、今まで以上の冤罪を生んでしまうことだろう。法の使用如何(いかん)によっては、一人の人を苦悩から救い出しもすれば、死の淵へ追いやることさえある。


 また、法律の致命的な欠陥として、あらゆる犯罪を網羅しているわけではないため、新手の犯罪については裁ききれない。裁判という営みは、善悪を判断するわけではなく、飽くまでも適法か違法かを問うているのだ。


 もっと簡単でわかりやすく、誰もが納得できる法体系としなければ、安全なコミュニティの形成は困難であろう。