死刑制度について


 Rさんから全文が掲載されているページを教えていただいた。

 完全に私の読み違いであった。

 死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。


 俺のように反省する気がない死刑囚もいる中で、ほとんどの死刑囚は日々反省し、被害者の事も真剣に考えていると思います。そういう人達を抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?


 俺が執行されたくないのではありませんが、その様な事などを考えれば、死刑制度は廃止するべきです。


 最大の問題はこの話を検証する術(すべ)を我々が持たないことである。部分的な真実があったとしても鵜呑みにするわけにはいかない。仮に全てが事実であったとしても、それは彼から見えた世界であって、私が見れば違うかもしれない。


 死刑制度が示しているのは、「正当な理由があれば人を殺してもいい」という価値観である。その意味で彼の言い分は正しい。


 私はずっと死刑制度に反対であったが、40歳を過ぎた頃から変わってきた。


 死刑制度の背景にあるのは仇討ちの文化であろう。そしてもう一つは、「コミュニティを危険にさらす者の排除」である。例えばチンパンジーの場合、群れを危険に陥れた者はその場で殺される。多分、善悪の概念ではなく本能が指示するのだろう。この意味において死刑には進化的優位性があると考えられる。


 冤罪や裁判のテクニカルな部分については話が別である。ここでは敢えて問わないことにする。また極端にわかりにくいケース(正当防衛や事故など)も除く。


 大体、反省して罪が許されるのであれば、「反省したフリ」をする人間が必ず出てくることだろう。罪と反省の経済性が認められるのであれば、先に反省してから罪を犯すことも許されるのではないだろうか?


 私は強姦や幼児虐待をした者は死刑にすべきだと思う。縛り首では軽すぎるから、被害者と同等以上の苦痛を与えることが望ましい。どうせなら、被害者の家族が執行できるようすればいいと思う。


 万引きをした後で、盗んだ品物の金額を支払い、謝罪すれば許されるだろうか? 私は許されないと考える。


 人を殺す瞬間に、入ってはいけないスイッチが入れられてしまう。欲望、嫉妬、憎悪などがきっかけとなって悪しき炎が吹き出す。ものの弾みであったとしても許されないことだ。


 あんまりまとまっていないが、そんなわけで私は死刑制度はあってもいいと考えている。とはいうものの、やはり冤罪を防ぐことは不可能だろうから、苦役および重労働を課すことを提案したい。恩赦はなし。


 もしも私の子供が殺人を犯したとすれば、私が直接手を下す。これは確実だ。