・幸福は外に現れる
・現代人は健康を味わえない
・名誉心について
・人間の虚栄心は死をも対象とすることができる
・真の懐疑は精神の成熟を示すものである
・断念する者のみが希望することができる
・幸福を望むのは不幸な人
新年、明けましておめでとうございます。本年も宜しくッス。
さて、新年一発目は明るい内容で行きたい。いつも、怒ってばかりいるからね。『人生論ノート』はいまだに380円という値段である。自転車に乗りながら携帯メールを打っている愚かな高校生や、電車内で堂々と化粧をする馬鹿女は10冊ほど買っておけと言いたい。
機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如くおのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である。
つまり、「幸福という状態」は必ず観測され得るという話だ。アインシュタインの相対性理論によれば、光速に近づくほど時間が遅くなることが証明されているが、そうであったとしても幸福は幸福なのだ。
苦虫を口の中で飼育していると言われる野村監督でさえ、マー君が勝つと機嫌がよくなる。
また、幸福が「表現的なもの」であるとすれば、それは「関係性の中」で発揮されることになる。感動は、常に他人と分かち合いたくなる衝動をはらんでいる。特に私の場合、「感動の押し売り」といったレベルにまで発展する。
「幸せ」というやつは滲み出る。そして、こぼれ落ちるような代物なのだ。まるで、恥じらいながら微笑む新婦のように。
しかし、だ。離婚する新婦も山ほどいる。ということは、「幸福の慣性」はあまり働かないってことだな。この世は摩擦係数に満ち溢れている。
教訓。幸福は摩擦をものともしない加速度が続く限り維持される。
皆々様が幸福な一年でありますように――と綺麗事で締め括っておくか(笑)。