昭和の脱獄王・白鳥由栄/『破獄』吉村昭


 主人公・佐久間清太郎のモデルは白鳥由栄である。小説ではあるが実話に基づいている(尚、リンクを紹介しようと思ったが、ネタバレとなるのでやめた)。


 自由とは、束縛から解放されることだ。だからこそ、佐久間は脱獄を繰り返し、トゥルーマンは舞台から去って行ったのだ(『トゥルーマン・ショー』)。

「このトーチカ房から逃げられるというのか。逃げられるなら逃げてみろ」
 看守は蔑笑する。
「人間の作った房ですから、人間が破れぬはずはありませんよ。あんたの当直の日に逃げてみましょうか」


【『破獄』吉村昭新潮文庫)】


 その後、佐久間は3.2メートル上方の明かり窓から脱獄した。あきらめない限り、自由への道は開かれていた。そして佐久間は「あきらめる」ことを知らない男だった。


 自由には二種類ある。フリーダム(freedom)とリバティ(liberty)と。束縛からの自由がフリーダムで、何かを自由に行うことがリバティである。基本はフリーダムだ。だから、メル・ギブソンも『ブレイブハート』でそう叫んでいる。


 果たして我々は本当に自由なのだろうか? 社会的・政治的制約に縛られ、常識に額(ぬか)づき、立場を重んじ、あるべき姿を演じているだけではないのか? トゥルーマンのことを映画の世界と一笑に付すことができないのは私だけではあるまい。我々はいつだって、必要もないのに頭を下げ、愛想笑いをし、相手の話に相槌を打ってしまうのだ。台本通りに進行する下らないテレビ番組と変わりがないね。


 自由であるためには身軽でなくてはならない。そのため、私は今年から無一物を目指す。最終段階では、かみさんを捨て、家族を捨て、更には知識を捨て、思想を捨てる予定だ。できることなら、自分自身も捨ててしまいたい(笑)。さあて、脱獄するぞ。


破獄 (新潮文庫)