小品である。わずか42ページ。しかも文字が大きいので小一時間もあれば読めてしまう。タイトル通り、木を植えた男の物語である。
我々はどんな世界に住んでいるのだろう? 同じ社会で呼吸していても千差万別の世界が人それぞれに存在する。しかも、一人の人間が持つ顔は多様だ。居心地のよい世界にいれば、人は安住を求めるだろう。そこは冬のビニールハウスのように温かく、厳しさとは無縁に違いないのだから。だが、多少の不満を抱えた場合はどうだろう? 多くの人は苦い物でも飲み込むようにして我慢するのではないだろうか。「所詮、人生なんて、こんなもんさ」などとうそぶきながら冷笑する大人はそこここにいるのではないか。居心地のよい場所に安住すること、多少の不満を抑えながら何も行動しないこと、これらはいずれも生きながらにして死んでいるような人生だ。金持ちの家で飼われている座敷犬程度の幸福しか手にすることができないだろう。
私が以前、勤務していた会社の社長が酒席でこう語った。「一度、大きな病気で入院したから、後は美味いものを食べて、好きなゴルフが出来れば、それで人生満足だ」と。しゃあしゃあと下らない人生論を述べる社長を尻目に私は思った。「こいつは人間として既に終わってるな」と。
若い連中が人生の深淵を知らずして本気で思いこんでいることに「好きなことが出来れば幸せ」というのがある。では、食べたい時に食べて、眠たい時に眠ることが果たして幸せであろうか? コタツで丸くなっている猫が羨ましいのか?
結局は好き勝手ができて、楽な人生を歩みたいと白状しているようなものであろう。吉川英治が裕福な青年にこう語ったという。「君は不幸だ。早くから、おいしいものを食べすぎ、美しいものを見すぎているということは、こんな不幸はない。喜びを喜びとして感じる感受性が薄れていくということは、青年として気の毒なことだ」。生涯忘れられない言葉だ。また吉川が愛した言葉に「苦徹成珠(くてつじょうじゅ/苦に徹すれば珠と成る)」とある。
そう考えると、人間としての輝きや幸福というのは、勇んで労苦に徹しゆく中にあるのかも知れない。スポーツや芸術の世界を見ればわかりやすいだろう。自身の限界にまで挑み、更にまた、限界から挑戦してゆく。山また山を乗り越え、波また波を突き抜けた向こう側に幸福の地平が開ける。
ある人が真になみはずれた人間であるかどうかは、好運にも長年にわたってその人の活動を見つづけることができたときに、初めてよくわかる。もしその人の活動が、たぐいまれな高潔さによるもので、少しのエゴイズムもふくまず、しかもまったく見返りを求めないもの、そして、この世になにかを残していくものであることが確かならば、あなたはまちがいなく忘れがたい人物の前にいるのである。
「なみはずれた人物」はただ木を植えた。ひたすら木を植え続けた。寡黙な羊飼いブフィエは、鉄の棒を地面に突き刺し、その穴に団栗(どんぐり)の実を植えた。しかもその土地は男のものではなかった。男は一粒ずつ心を込めて日に100個の団栗を植えた。既に3年が経過し、今までに10万個の実を植えたという。荒地だった土地に1万本の樫の木が育っていた。
第1次世界大戦を終えて、そこを訪れると、樫は既に10歳を越え、人間の大人ほどの背丈になっていた。
このすべてが特別の技術をもたないこの人の手と魂から生まれたものであることを考えると、人間は破壊するばかりの存在というわけでもなく、神に似た働きもできるのだ。
ブフィエはブナや樺をも植えていた。つまり、大戦中も休むことなく仕事を続けていたのだ。
容易に想像がつくであろうが、成功をもたらすためには、それを妨げようとするものにうち勝たねばならない。情熱が勝利を得るためには、失望と戦わねばならない。ある年、10000本の楓(かえで)を植えてみたが1本も育たなかった。翌年、楓はあきらめ、ふたたびブナにかえたところ、樫以上の成功だった。
その昔、20世紀初頭にはたかだか3人の住人を数える不毛の大地だった。
それがなんというかわりようだろう。空気さえ前とはちがう。かつて私をおそった乾燥した烈風のかわりに、いろいろの香りの混ざった優しいそよ風が吹いている。水の流れるような音が高地から聞こえる。それは森に吹く風であった。
もっと驚くことには、水場にに水が落ちる音が聞こえるではないか。いってみると、きれいな泉水ができていて、水量も豊かだ。
遂に村には10000人の住民が暮らすようになる。半世紀前には廃墟だった土地に、子供たちの朗らかな声が飛び交い、勤勉な男女がいそいそと働く姿があった。
一粒の団栗が多くの幸福の実を結んだ。一人の男が多くの人を幸せにした。男は木を植えただけの人生だった。しかし、これほどの幸福な人生があるだろうか?