古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ニュース拾い読み・書き捨て 6

またしても笑わせてくれる朝日のコラム「ワイドショー政権と参院選


朝日新聞 2001年6月30日付】


 中央の見出しは“狂熱より理性取り戻すとき”。賢明な読者であれば、これだけで内容を察することができるだろう。小泉首相を「ライオン髪の絶叫」「『構造改革』マジック」などという戯画的な形容詞で飾り立て、真紀子大臣を「スーパースター」と揶揄(やゆ)してみせる。そして行間に、経済の低迷・最悪の失業率・自殺者の増加などの数字を盛り込んで、全てを小泉首相になすりつけてみせる。後半では社民党のテレビ・コマーシャルにてこ入れ。“本当に怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる。今しかない。戦前へ走らない道を。護る女。社民党”。既に報道されているように、これが多くのテレビ局から放映を拒否されたことを紹介。朝日本社コラムニストという風変わりな肩書きの早野透は「少数派のこんなまっとうな政治批判もできなくなること、それが『怖いこと』なのである」と、「まっとう」の中身を全く説明もせずに講釈を垂れている。結論は「国民の側もそろそろ狂熱より理性を取り戻すときである」と、言わずもがなの朝日らしい論調。

おたかさん「本当に怖いこと」


▼マドンナ旋風を巻き起こした元人気者・おたかさん。彼女が「本当に怖いこと」と言っているのは党勢の凋落(ちょうらく)と読めばいい。さる都議会選挙では遂に獲得議席数0。おたかさんには老醜がそこはかとなく漂い、既に過去の人物といった感が強い▼人気は無いよりはあった方が遥かによかろう。だが、マスコミなどが懸念するような“狂熱(これも熱狂としないところに政治的な意図を感じる)”的な人気など、どこを見渡しても存在しない。国民はただ単に面白がっている程度ではないのか?▼新聞社はそろそろ、でかい口を叩くのはやめた方がよろし。そもそも社会の変化を促すような論調などは全く皆無なのだから▼彼等が書いていることは「国民は馬鹿だ」ということに他ならない。問題ばかりをあげつらい、ヤジ程度の内容に終始する新聞は、やがて社会から見放されてゆくだろう。その癖しやがって驕(おご)り高ぶる姿勢を隠しきれないのが朝日新聞の特徴▼共産党の都議選選挙結果の報道を見ると――共産惨敗(産経)、党勢退潮止まらず(日経)、敗北(東京新聞)、共産大敗(毎日)、大きく後退(読売)と各紙が報じているなか、朝日は「苦戦」と記事中にあるだけ▼まあ、左寄りなのは構わないが、いつの日か朝日新聞共産党のデマビラの替わりにならないよう祈るのみだ▼オピニオン紙と謳われた朝日も、体制支持の風潮の中にあっては、これほどまでに精彩を欠くとは思わなんだ。

国会議員の平均所得は2750万円だってさ


朝日新聞夕刊 2001年7月2日付】


▼「また随分、景気が好い話だな」「それでも前の年と比べると294万円減ったんだってさ」▼「額が大き過ぎてわかりにくくはねえか?」「ええ〜と、月給にすりゃ230万円ってとこだね」▼「ふーん、そんなにもらってやがるのかえ」「日曜日だけ休んだとしても日給10万円ぐらいだね」▼「そいつあ、チトもらい過ぎてやしねえかい。内のかかあが1ヶ月パートしてもらうのが、そんなもんだぜ」「まったくだよなあ」▼「大体が元は税金だろ? おいらの給料から差っ引いた金がそんなところに、そんなにたくさん行ってやがるのかえ?」「よくわかんねえが、政治にゃ金がかかるんじゃねえのかい?」▼「政治家が公僕ってえのあ、ありゃあ嘘だなあ」「公僕ってえのあ一体どこに生えているんだい?」▼「馬鹿野郎、木じゃねえんだよ。公僕ってえのあ、召し使いってえことよ」「へえーっ、ご主人様より給料の高い召し使いってえのあ聞いたことがねえぞ!」

沢木耕太郎の「銀の森(月1回の連載)」がよかった


朝日新聞夕刊 2001年7月2日付】


▼取り上げられた映画は話題になっている中国映画『こころの湯』。北京の下町にある銭湯が舞台▼父親の生きざまと、隙(すき)のない脚本が出色の出来らしい。銭湯を切り盛りするのは老いた父親と知的障害のある次男。父親は仕方なく次男の「世話」をしているのではなく、共に生きることを楽しんでいる模様が描かれているとのこと▼単なる人情喜劇で終わっていないのは、帰省した長男の視線にこもっている「痛み」の感覚である、と沢木は綴っている。そして、地域のユートピアとして存在していた銭湯が、都市計画によって取り壊されることを知るに及んで、更に「痛み」は増す、と▼ガールフレンド(いたとしての話。いますよ、もちろん!)を伴って、というよりは一人で見にゆきたくなるような静けさが湛(たた)えられたレビューである。

学校のセキュリティについて


▼これは私見。池田小での無惨な事件が起こってから、学校にスクール・ポリスを導入しようというような政策が聞かれるようになった▼具体的な内容は知らないのだが、これに掛かる費用も結構なものとなろう▼そこで私が提案するのは、学校への自衛隊員派遣である▼これは自衛隊を警備につかせるのではなくして、学校で訓練を行うというもの▼例えばだ。校門の前を匍匐(ほふく)前進で行ったり来たりする自衛隊員がいれば、かなり効果が期待できそう▼また、校庭の樹木に迷彩色の軍服をまとった隊員の図もよろし▼運動会の折には、パラシュート降下でもしてやれば児童は大喜びするだろう▼待てよ。いっそのこと体育の教師にしてしまえばいいではないか!▼避難訓練でも活躍する自衛隊員の姿が目に浮かぶ▼名案だと思うが、いかが?