もう何年も前の話になるが、あるテレビ番組で「どういう時に愛を感じるか?」というインタビューを行っていた。実に下らない応答の数々に辟易しつつ、低俗極まりない制作意図を呪いつつも、私の常に7対3でキマッテいる頭髪の下では脳味噌が答えをひねり出そうとめまぐるしく動き出した。「理解し合えた瞬間」これが私の弾き出した回答だった。
理解し合い、共感を深め、新たな行動へと駆り立てられてゆく。この繰り返しが私自身を変化させ、新しいものにする。向上・進歩・成長と言ったものの中で、私は確かな生の手応えを感じ、私の中で脈打つ大宇宙の鼓動を悟り、私の善性は祈りとなって痕跡を留める。
人との出会い、または人がつくった何かとの巡り合いを通し、魂と魂がふれあう瞬間がある。得も言われぬ歓喜の波が心臓にうねり、大動脈を駆け巡り、全身の隅々にまで充実の漣となって押し寄せる。私の内側で何かが動き出す。あるときは微細な余韻となって私の思考を微妙に修正し、またあるときは、決定的な刻印となって私を直ちに走らせる。
これが感動だ! これこそが感動だ!
この本を読み、カレル・ヴァン・ウォルフレンという人間を知り私は感動した。自立した人格の巨大な様に圧倒され、鉄壁の権力システムを切り刻む鋭利な知性に翻弄され、変革への断固とした決意に鼓舞された。それにも増して、日本人に向けられた誠実さに叩きのめされる思いを抱いた。この人物の強みは、誠実さに裏打ちされた、勇気と知性ではないだろうか。彼こそはまさに真の騎士(ナイト)である。
氏は首まで無気力につかった日本を「うちひしがれた人々の国」であると一言(いちごん)のもとに飽食の仮面をむしり取る。
「シカタガナイ」思考の蔓延が、単なる儀式としての民主主義をガッチリと支える。而してその実態は「官僚独裁主義」であると喝破する。読むほどに周囲を取り巻く闇が払われ「学は光 無学は闇」と痛みにも似た感を強くした。
ウォルフレン氏は変革の志も高らかに、火を吐くが如き言葉を読者に突きつける。「シカタガナイ」と言うのをやめろ、と。あなたが手を貸すべきだ、と。「市民の立場」で戦え、と。強靭なる執念と確信は、日本人への信頼より生まれたものであり、人間を信ずる心から発せられた英知は土のごとく温かい。
この本は、日本人に対し、真の日本人たれとの憂国の書であり、市民を盲目にする権力の呪縛から解き放つ啓蒙の書であり一人立つ西洋の知性からの友情のメッセージである。