古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

政府に奉仕する記者クラブ/『ジャーナリズム崩壊』上杉隆

 世界に類を見ない記者クラブ制度を徹底的に糾弾している。私が初めて記者クラブ問題を知ったのは、カレル・ヴァン・ウォルフレン著『日本/権力構造の謎』(早川書房、1990年/ハヤカワ文庫、1994年)を読んでのこと。ウォルフレンは外国人記者を排除する日本の悪習を指摘した。


 記者クラブというのは、日本新聞協会が牛耳る仲良しグループのこと。メンバーは大手の新聞社・通信社・放送局に限定されている。ま、“報道の護送船団方式”と言ってよかろう。ここから、政府及び官僚が発信する情報が速やかに伝えられる。日本における報道とは、政府スポークスマンが発表する情報の伝言ゲームと化しているのだ。つまり記者クラブは、大政翼賛的な御用メディアの役目を果たしている。


 所詮は村だ。だからこそ、記者クラブという村によそ者を入れるわけにはいかないのだ。よそ者は“取材”を試み、“批判”を企てる。垂れ流される情報を決して鵜呑みにしない。村長からすれば非常に目障りだ。そして、村長を支える輩にとっても好ましくない。それゆえ村の掟に従わない連中は排除されてしまうのだ。


 記者クラブは政府に奉仕する。例えばこんなふうに――

 新テロ特措法成立以前、新聞は、仮に自衛隊によるインド洋での給油活動がストップすれば、日本の国際的信用力は低下する、と書いていた。
 だが、現実は、艦船2隻が日本に戻ってきている間もインド洋でのオペレーションは不断に行われ、日本政府の国際的信用が低下するという事態には発展しなかった。
 日銀総裁人事でも同様だ。政府の人事案を野党が蹴り、一時的に総裁が空席になる前、新聞は野党の国会対応を責めたてた。もしも中央銀行総裁が空席になったら、日本の金融市場は混乱し、国際的信頼性が損なわれる、というものだった。
 結果は、もちろんそうはならなかった。ところが、自らの非を認めたくない新聞は、欧米のメディアは日銀総裁の空席によって、日本経済は打撃を被るだろうと報じている、として危機を煽(あお)ったのだ。
 実際は、英誌『エコノミスト』が「JAPAIN」というテーマで書いたように、単に、日銀総裁も決められないほど日本の政治は弱体化しているというものばかり。つまり、新聞は、存在しない危機を勝手に作り出し、政府の言い分を補完する役割を自ら担ったに過ぎなかったのだ。


【『ジャーナリズム崩壊』上杉隆幻冬舎新書、2008年)】


 私は驚いた。こんな事実すらすっかり忘れていたからだ。「日本人は歴史健忘症である」という指摘があるが、「ニュース健忘症」でもあるようだ。記者クラブが排泄(はいせつ)する情報は、私という便器に落下したまま臭気を放っている。そして私はいつしか臭気に慣れ、異臭を嗅ぎ分けられなくなっている。


 情報は伝えられる際に必ず歪む。これをメディア・バイアスという。だが、記者クラブが行っているのは、「意図的に歪められた情報の伝達」である。つまり、我々の手元に来た情報は二重三重のバイアスが掛かっているのだ。


メディアは下水管だ」と小田嶋隆が喝破しているが、全く同じ理由から「メディアはケツの穴だ」と私は言いたい。


 上杉隆には気骨がある。傑作『官邸崩壊 安倍政権迷走の一年』(新潮社、2007年)にまつわるエピソードも記されているが、非常に興味深いものだった。かつて上杉本人が勤務したNHKに対する苦言も真摯である。


 読書の目的は、「世の中の仕組み」や「世界の構造」を知ることにある。本を読まないと、知らず知らずのうちに権力者のコントロール下に置かれる羽目となる。本書は間違いなく“目を開かせてくれる”一冊である。