古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「拵(こしら)え相撲」に張り手を食らわせた雷電為右衛門

『汝ふたたび故郷へ帰れず』飯嶋和一

 ・時代の闇を放り投げた力士・雷電為右衛門
 ・力士は神と化した
 ・「拵(こしら)え相撲」に張り手を食らわせた雷電為右衛門

『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽
『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
『始祖鳥記』飯嶋和一
『出星前夜』飯嶋和一
『狗賓童子(ぐひんどうじ)の島』飯嶋和一

 長いこと自分が探し求めてきた者にやっと出会えたような気がしていた。まず、何より土俵においてどんな妥協もしない、正に真剣で渡りあうような最強の力士を養成する必要があった。
 しかし、「拵え相撲」が横行し、星の貸借や売買が行われ、それによって均衡が保たれている現在では、それに妥協せず真の勝負をいどむ若い相撲人が出現すれば、腐敗した連中によって徹底的に痛めつけられ潰されることも目に見えていた。そんな妥協のない力士を世に出す時には、すでにその時点で、誰よりも抜きん出た無双の力を備えていなくてはならない。たとえ、腐敗しきった者たちが総がかりでも、それをはねのけ、有無を言わせず逆にたたき潰すだけの圧倒的な力量を備えていなくてはならなかった。いろいろ目にしたが、自分を超える可能性を持った者は見当たらなかった。ただ、おそらくそれを成しとげられる者は、これまでの力士とはまるで違った相撲を取るに違いないといった予感だけはうすうす谷風は抱いていた。
 あの者は得体の知れない、底無しの力を感じさせた。長くせり出した顎と張り出したエラ、馬のような長い顔に眉も目尻も細く下がった呑気な顔をし、一見はただ馬鹿大きいだけで人のいい百姓家の小倅のように見えるが、圧力をかけ痛めつければつけるほど、その眠たげな顔の下から全く別の顔が立ち現れる。あの身体の奥底に小さな火種がかくれ潜んでいて、それに火がつくと全身に燃え広がった業火が、相手を焼き尽くすか、己れを滅ぼすかの選択を迫って、襲いかかってくる。もはや相撲などと呼べるものではなくなってしまう危険さえ秘めている。しかも通常、人は興奮しきってしまえば、身体がこわばり、直線的な硬い動きばかりになるのに対して、あの化け物はむしろ自在に、己れの意志を超えた軟らかな粘っこい体の動きをし始める。
 何の情実もさし挟まず、何の妥協も土俵内には持ち込まぬ、虎のように相撲(すま)う力士。今、何より必要なのはそんな力士だった。あの化け物ならやれるかも知れない。


【『雷電本紀』飯嶋和一〈いいじま・かずいち〉(河出書房新社、1994年/河出文庫、1996年/小学館文庫、2005年)】



雷電本紀 雷電本紀 (小学館文庫)
(※左が単行本、右が文庫本)