呉子曰く、「夫(そ)れ道とは本(もと)に反(かえ)り始に復(かえ)る所以(ゆえん)なり、義とは事を行い功を立つる所以なり、謀とは害を違(さ)り利に就(つ)く所以なり、要とは業を保ち成を守る所以なり。
もし行(おこない)、道に合わず、挙(きょ)、義に合わずして、而(しか)も大(だい)に処(お)り貴に居らば、患(うれい)必ず之に及ばん。
是を以て聖人は、之を綏(やす)んずるに道を以てし、これを理(おさ)むるに義を以てし、これを動かすに礼を以てし、これを撫(ぶ)するに仁を以てす。この四徳は、之を修むれば則(すなわ)ち興(おこ)り、これを廃すればすなわち衰う。
故に、成湯(せいとう)、桀(けつ)を討ちて、夏の民、喜説(きえつ)し、周武(しゅうぶ)、紂(ちゅう)を伐(う)ちて、殷人(いんひと)非(そし)らず。挙、天人に順(したが)う。故に能(よ)く然(しか)り。
呉子はいわれた。
「道とは、根本原理に立ちかえり、始まりの純粋さを守るためのものである。
義とは、事業を行い、功績をあげるためのものである。
はかりごとは、わざわいを避け、利益を得るためのものである。
権力の要とは、国を保持し、君主の座を守るためのものである。
もしも行いが、道にそむき、義に合わないのに、高位、高官の地位にぬくぬくとしておれば、かならずその身に災いがおそいかかってくるであろう。
そこで聖人は人民を道によって安堵(あんど)させ、義によって治め、礼によって動かし、仁をもっていつくしんできた。道、義、礼、仁の四つの徳を守ってゆけば、国は盛んになり、それを実行しなければ国家は衰亡する。
だからこそ殷(いん)の湯王(とうおう)が夏の桀(けつ)を討ったときには、夏の人民は喜び、周の武王が殷の紂(ちゅう)をほろぼしたときは、殷の人々は、非難しようとしなかったのだ。湯王や武王はいずれも四つの徳を守り、天の理法と人民の意向にかなっていたからである」