古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

時間と空間に関する覚え書き


◎では、宇宙図を見て閃いた悟りを開陳しよう(笑)。視覚が捉えている世界は「光の反射」である。光には速度がある(秒速30万km)。つまり我々に見えているのは「過去の世界」であって「現在という瞬間」を見ることはできない。


◎更に人間の知覚は0.5秒遅れる。つまり「光の速度+0.5秒」前の世界を我々は認識しているわけだ。

◎例えば北極星。地球上から見える北極星の光は431光年を経たものである。仮に北極星でサッカーの試合をしたとしよう。コイントスが終わっていよいよゲームが始まる。この場合、431年前のゲームを我々が見ていることになる。


諸行無常とは存在の本質を示した言葉であろう。「とどまることを知らない変化」こそが存在の存在たる所以であり、それが生命現象である。しかしながら我々の視覚に映じているのは過去の世界であるがゆえに、「存在の影(あるいは迹〈かげ〉)」しか認識できない。


◎「神」という視点は光に支えられた座標なのだろう。それは「見える世界」に限定される。そうでありながら光の源である太陽を人間は直視することができない。「見えるもの」には名が付与される。言葉は名詞から発生したと考えられている。神は光であるがゆえに「初めに言葉ありき」という構図ができる。


相対性理論は空間と時間が絶対ではないことを明かした。例えば光のスピードで走る車をあなたが道路で眺めたとしよう。車内の人達は全く動いておらず、彼らの周囲にある物は全て縮んで見える。車の中では普通に時間が進行しているにもかかわらずだ。


◎車を運転していたのは浦島太郎だった。首都「光速」道路で竜宮城へ行き、3年後に自宅へ帰ったところ、何と300年が経過していた。これを「ウラシマ効果」という。


◎実は我々の生活にもウラシマ効果は存在する。

◎神が光であると仮定すれば、神的世界は光の届く範囲に限定される。そして光は必ず影をつくり出す。なぜなら物体が光をさえぎるからだ。こうして光は「表と裏」という世界を形成する。地球が太陽に照らされる時、光と同じ速度で地球の影は宇宙に伸びる。その先にも闇は広がっている。


◎宇宙全体に光が及ぶことはない。なぜなら宇宙は光速度を上回るスピードで膨張しているからだ。

◎光に支配されたキリスト教的時間観は直線的とならざるを得ない。生→死→復活→永遠、というのがそれだ。これでは系(システム)として閉じていないので必ず矛盾が生じる。

◎仏教は現在性を追求している。仏典においては「将来」ではなく「未来」という言葉が使われる。「将(まさ)に来たらん」とする時間ではなく、「未(いま)だ来たらざる」時間として捉える。厳密にいえば仏教は未来を認めていないのだ。


ブッダが説いた原始の教えはプラグマティズムと受け止められがちだが、むしろ現在性を重んじた智慧であったと考えるべきだろう。カースト制度を支える輪廻という物語を解体するには、前世・来世を一掃する必要があった。悟りとは修行の果てに得られるものではなく、ありのままの現在性を捉えることだ。


◎光の速度を超えると虚数の世界が現れる。2乗してマイナスとなるのが虚数だ。量子力学電磁気学では実際に使われている。膨張する宇宙の果てが虚数の世界であれば、そこはネガとポジが反転する世界だ。生老病死も反転し、光速度を超えた時点で過去へと向かい、久遠元初に辿り着くかもしれない。


◎実際は光速度に近づくほど質量は無限に重量を増す。これがE=mc²。質量が無限大の世界といえばブラックホールだ。地球を2cmに圧縮すればブラックホールが出来上がる。そしてブラックホールを取り巻く空間は激しく歪む


◎物理世界における光速度を超えるのは、無意識の直観であり、これこそが悟りなのだろう。