古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「大きな物語」は死んだ

本田●いわゆる「大きな物語」が死んだと言われて久しいわけじゃないですか。「小さい物語」として恋愛とかいくつかのパターンがあって、オタクになるというのもそうしたパターンの一つだろうと思いますが、結局彼の場合、そうしたシナリオのどれにも乗れなかったんだと思います。2ちゃんねるでも居場所がなくて、携帯サイトの個人掲示板という誰も読まない場所に行っちゃっただろうけど、どこのコミュニティーにも入れなかったので、自分の物語がまったく持てず、自分が何者かわからなくなったのではないか。そういう人が最終的にどうなるのかというと、スキルがなくても物語の主人公になれる方法としてはテロリストになって一日だけでも主役になろうとする。あれと同じですよ。昨年アメリカで起こったヴァージニア工科大学の32人殺し。犯行声明のビデオに執拗にセレブ層に対する怒りを叫びまくった在米韓国人、チョ・スンヒの銃乱射事件と同じだと思います。
(特別対談 本田透×柳下毅一郎


【『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』洋泉社ムック編集部編(洋泉社MOOK、2008年)】


ポストモダンとは大きな物語の終焉である」と定義したのはジャン=フランソワ・リオタールであった(『ポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム小林康夫訳、水声社、1989年)。


アキバ通り魔事件をどう読むか!? (洋泉社MOOK)