古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

ソフィー・ジェルマン/『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン

 ・ピュタゴラスは鍛冶屋で和音を発見した
 ・ソフィー・ジェルマン
 ・川の長さは直線距離×3.14
 ・ピタゴラスの定理
 ・ピタゴラスの証明は二重の意味で重要だった
 ・図書室の一冊の雑誌をめぐる偶然の出会いが数学史を変えた
 ・ガロア

『竹山道雄と昭和の時代』平川祐弘


 ソフィー・ジェルマン(1776-1831)は女性数学者である。「アルキメデスの最期」を知り、数学を志した――

 当然ながら、ソフィー・ジェルマンを数学に駆りたてたのは、こういったたぐいの女性向けの本ではなかった。彼女の人生を変えたのは、ある日父親の蔵書を拾い読みしていたときにたまたま手に取った、ジャン・エヒエンヌ・モンテュクラの『数学史』だった。モンテュクラの語るアルキメデスの一生が彼女の心を捉えたのである。アルキメデスの発見をめぐる記述は文句なく興味深いものだったが、とくに彼女が引きつけられたのはアルキメデスの死に関する話だった。アルキメデスはその生涯をシラクサの地で数学を研究して過ごしたが、70代の終わりごろ、ローマ軍の侵略によってその平穏を破られてしまう。言い伝えによれば、砂地に書いた幾何学図形に夢中になっていたアルキメデスは、ローマ兵に声をかけられても返事をしなかった。そのために槍で突かれて死んでしまったというのである。
 殺されてしまうほど夢中になれるなんて、数学はこの世でいちばん魅力的な学問にちがいない、とジェルマンは考えた。彼女はすぐさま数論と微積分学の基礎を独習しはじめ、じきに夜中まで起きてオイラーニュートンの仕事について学ぶようになった。


【『フェルマーの最終定理 ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』サイモン・シン青木薫訳(新潮社、2000年)以下同】


 やはり後世に名を残す人は発想が違う。着眼点の次元が凡人とは異なっている。


 フェルマーの最終定理は、ワイルズの独力で証明されたわけではなかった。最初にオイラーの右フックが顎(あご)をかすめた。次にソフィー・ジェルマンが左ジャブを繰り出す。それから、日本の志村五郎と谷山豊が別のグローブを用意した。そして、強烈な右ストレートを外したワイルズがアッパーカットでノックアウトしたのだ。勝者は“数学の血脈”であった。


 ソフィー・ジェルマンが生きた時代は、まだまだ女性が差別されていた。女性に学問は不要と考えられていた。女性は大学に入ることも認められていなかった。それでも彼女は独り学び続けた。


 ソフィー・ジェルマンは意を決してガウスに手紙を出した。しかし、女性であることを告げることができなかった。そこで「オーギュスト・アントワーヌ・ルブラン」という男性の名前で送ることにした。驚くべきことにガウスから返信が来た。こうして文通が始まった。


 ここで歴史の歯車が大きく動いた。ナポレオン率いるフランス軍ガウスのいるドイツに侵攻したのだ――

 もしもナポレオンがいなかったら、ジェルマンの功績は永遠に謎のル・ブラン氏(ジェルマンの偽名)のものとなっていたかもしれない。1806年、ナポレオンはプロイセンを侵略し、フランス軍はドイツの都市を、一つ、また一つと攻略していた。アルキメデスに降りかかった運命が、彼女のもう一人のヒーローであるガウスの命をも奪うのではないかと危惧したジェルマンは、進軍中のフランス軍指揮官であるジョゼフ・マリー・ペルネティ将軍という友人に手紙を書き送り、ガウスの身の安全を保障してくれるよう頼んだ。将軍はその言葉にしたがって、このドイツ人数学者に特別な計らいをすると、「あなたが命拾いをしたのはマドモアゼル・ジェルマンのおかげです」と告げたのだった。ガウスは感謝しながらも非常に驚いた。ソフィー・ジェルマンなどという名前は聞いたことがなかったからである。
 ゲームは終わった。ジェルマンは次の手紙で不本意ながらも正体を明かした。ところがガウスは、騙されたことに腹を立てるどころか、喜びに満ちた返信をしたためたのである。


 さながら劇の如し。ソフィー・ジェルマンはガウスの命を救っただけではなかった。すべての女性に学問の扉を開いたのだ。偽名という小さな嘘がなければ、ガウスも返事を認(したた)めなかったかもしれない。


 フェルマーの最終定理は、数学の歴史に数々のドラマを誕生させた。「問題とはかくあるべし」とフェルマーの笑う声が聞こえてきそうだ。


哲学的な何か、あと科学とか
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