・幸福は外に現れる
・現代人は健康を味わえない
・名誉心について
・人間の虚栄心は死をも対象とすることができる
・真の懐疑は精神の成熟を示すものである
・断念する者のみが希望することができる
我が青春の一書。初出は、「文学界」1938(昭和13)年6月〜1941(昭和16)年10月、ただし「個性について」は「哲學研究」1920(大正9)年5月、「後記」は「人生論ノート」創元社1941(昭和16)年8月、「旅について」は不詳、とのこと(「青空文庫」による)。
三木清は終戦後の昭和20年9月26日、豊多摩刑務所内で死亡した。享年48歳。
実際、今日の人間の多くはコンヴァレサンス(病気の恢復)としてしか健康を感じることができないのではなかろうか。
二十歳(はたち)の私は、「ウン?」と思った。再び読み返して「アッ!」と唸った。我々は病気というマイナス価値に対しては敏感だが、健康をプラスと感じることができなくなってしまっている。つまり、健康な状態がゼロだと思い込んでいるようだ。
中原理恵は「ないものねだりの子守歌」と歌った。欲望はいつだって満たされることがない。まるでブラックホールだ。そしてあらゆる情報が大衆の消費意欲に火を点け、あれもこれも足りないと欠乏感を煽り立てる。
健康を味わえないから、病気も味わえない。生を堪能できないが故に、死の充実もない。欲望はありとあらゆるマイナス価値を否定する。これを肯定できれば少欲知足(欲少なくして足るを知る)か。