こんな文章が延々と続く。改行もないままで――
駅舎建築を研究していると、と午後遅くハントスフーン・マルクトにあるカフェのテラス席で歩き疲れた足を休めているあいだにもアウステルリッツは語った。別離の苦悩と異郷への恐怖という考えがなぜか頭にこびりついて離れません。そんなものは建築史とはなんの関係もないのですが。もっとも、けた外れに巨大な建造物は、往々にして人間の不安の度をなによりも如実に写しているものなのです。要塞の建設を見るとはっきりとわかります、たとえばアントワープ要塞がうってつけの例ですが、あらゆる外敵の侵入を防ごうとするならば、自分たちの周りにつぎつぎと防御設備をめぐらしていかざるを得なくなり、その結果、同心円がとめどなく拡大していって、最後に自然の限界に達して終わるまで続くのです。
何となくエリアス・カネッティの『蝿の苦しみ 断想』と文体が似ている。なおかつ冗長であり、豊穣であり、逸脱していると感じるほど言葉が溢れている。
しかも一読してわかるように、言葉によって思想を組み立てるのではなくして、思想が言葉を紡ぎ出している。雨に濡れてキラキラと光る巨大な蜘蛛の巣を眺めているような気分になってくる。