古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

江原啓之はヒンドゥー教的カルト/『スピリチュアリズム』苫米地英人

 タイトルは『スピリチュアリズム』となっているが、内容は「反スピリチュアリズム」。苫米地英人が警鐘を鳴らしているのは、「江原啓之を受け入れてしまう社会情況」に対してである。オウム後に現れたカマイタチといっていいだろう。

 江原啓之氏などの言っていることは、宗教史的に言うと輪廻転生を前提としたヒンドゥー教的カルトです。実はスピリチュアルのみならず、流行っている新宗教はすべて差別的な思想を持つという興味深い共通点があります。それは「人間を超えた存在」という超人思想であり、選民思想です。もっとはっきり言うとナチズムに繋がるものです。
 そしてこれも彼らがよく口にする「守護霊」ですが、それは、元々はキリスト教的カルトにあるゴーストの概念を、日本古来から存在する鬼神の概念と結びつけたものです。


【『スピリチュアリズム苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】


 大雨が降ると川が氾濫する。家屋や畑に甚大な被害を与える。これを納得するためには物語が必要となる。そこで編み出されたのが“竜”だ。雨を降らせているのは竜の働きであり、人々は竜の怒りを恐れた。竜が荒れ狂う様相は、氾濫する川そのものであろう。


 人間は起承転結や因果という物語に支配されている。“理由を考えずにはいられない”のが人間に課された宿命だ。それが証拠に、運不運を否定する人を見た例(ためし)がない。


 僥倖があれば感謝を捧げ、不慮の災難に遭えば身を慎むという生き方を否定するつもりはない。だが、いたずらに何かを恐れるようになれば、必ずそこに付け込む輩が現れる。宗教、健康食品、美容、痩せる、背が高くなる、ハゲが治る、女にもてる、能力が開発される、ギャンブル必勝法――などなど。


 人間が物語に生きるのは幸不幸を感じるからだ。しかしながら、何に対して幸不幸を感じるかは人によって異なる。勝って驕らず、負けても腐らぬ人こそ賢人か。中庸とは、鈍感さをキープすることではなく、強靭な意志の発露であると思う。


 政治の劣化、生活の不安、家族関係の崩壊などが、スピリチュアリズムを受け入れる土壌となっているように感じた。