前作『偽善系やつらはヘンだ!』よりもパワーアップ。精神障害者による犯罪、日本人の死に方、佐高信批判、田中知事誕生以前の腐敗しきった長野県政(長野五輪の予算の使われ方は、官僚の感覚が窺える貴重な資料)、書評、買い物日誌と、てんこ盛りの内容。「日垣隆マガジン」といってよい。
長野県知事に田中康夫氏を指名したのは日垣氏とのこと。しかしながら、選挙戦は一切手伝っていない。通読して感じるのは著者が「喧嘩巧者」であること。それは、暴力的な示威行為によるものではなくして、「常識を貫く」見識に支えられていてお見事。予約していたタクシーが遅れたせいで新幹線に間に合わず、タクシー会社の社長を呼び出して懲らしめるところに大笑い。
知的障害者による犯罪については、山本譲司著『累犯障害者 獄の中の不条理』と佐藤幹夫著『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』も併せて読んでおきたい。山本本で刑務所がセーフティーネットと化している現状を知り、佐藤本で杜撰な取り調べに対する理解を深めておくべきだ。
知的障害者の罪が軽いのは、法律が彼等を人間扱いしてないためだった。
いん唖者(いんあしゃ)とは、《聴覚障害及び言語機能を共に先天的若しくはごく幼少時に喪失した者》(1991年12月2日、東京高裁判決)と定義され続け、いん唖者は、たとえば次のように形容されていた。
《言語化された思考が得られないため反省思考、抽象思考を欠き、人間的知能の正常な発達を妨げられ、人間化への過程を阻害され、真の意味の人間的存在とはいい難い程度の知能しか有することが出来ず極めて僅かの具体的知識を有するのみ》(1965年11月22日、広島地裁福山支部判決)
多分、既に法改正されているものと思うが、これは酷い。「ろうあ者は人に非ず」って言ってるんだからね。
白眉は佐高信批判。私も大っ嫌いだよ(笑)。以下、ずらりと引用しておこう。
かわいそうに。
彼には、自らへの批判に対する免疫がなかったのである。この現象は実に興味深いことではないだろうか、と私は思うようになった。
毒のない辛口スナックゆえ、またタイトルを見れば結論がわかるゆえに、安心して読まれてきた彼は、他社への罵詈雑言で生活の糧を得ておきながら、自己への批判には耐えられず、少なくとも私が直接確認できたものだけで合計五つの出版社に執拗な圧力をかけ、私の仕事を奪おうとした(未遂に終わった五つだけが、強迫を受けた編集者から私に連絡があった。既遂は何件あったのか佐高氏に聞かないと正確にはわからない)。
私はそのことにまったく腹を立てていない。不当な圧力がかかるのは、私のような書き手には必ずついてまわるリスクであり、総会屋まがいの圧力ごときに屈する編集者と、まともな仕事ができるとは思えない。
彼が最も得意とするのは、外見への差別的難詰である。明らかに佐高信は病んでいると思う。誰か止めてあげる友人はいないのか。ついでながら、写真で見る彼の事務所の汚さは常軌を逸している。論理的混乱の外在的表現であろうと思われる。
この人は月刊佐高とか週刊佐高と自称するほどの本を現在執筆中であるが、おおむね共通するのは、中身の大半が書物の引用、またはパクリ、あるいは単なる書物の紹介に終始している点だ。
このようにいつでも彼の文章は、《という》や《といわれる》のオンパレードである。まともな書き手は、《という》や《といわれる》に接して、それを徹底的に確認または疑うことから仕事を始める。
断言してもいいが、佐高氏は今後最低10回は、石原(慎太郎)氏への批判の唯一の柱として、自分との対談での小さなエピソード(「変に気が合った」とか)を使い続けるだろう。対談をステータス向上運動に使い続けてきた人だからである。小渕首相と握手したことさえ、《幸か不幸か私も見つけられ、無断で手を握られまして、振り払うのも大人気ない。心ならずも握手してしまった。(中略)「クレゾールで洗っても落ちないぞ」……》(「週刊金曜日」2000年1月28日号)などと10回以上も自慢してしまう。私はこの人を13年前から「小学生新聞記者の信ちゃん」と呼んでいる。
日垣氏は後半の「買い物日記」に記しているが、わずか数行触れるだけでも正確さを期すために、月の書籍代が40万円を超えるとのこと。
試しに今、手元にある佐高信の文章を見てみよう。(引用はいずれも『創』2007年12月号より)
人間も軽いベニヤ板みたいだなという印象だった。(橋下徹氏)
橋下という世論の尻馬に乗ってしか行動できない小動物の
小ずるいネズミのような男(橋下徹氏)
橋下氏は、未熟弁護士、便乗弁護士、扇動弁護士など、無責任を意味するどんなネーミングを重ねても足りない。
ただの悪口にしかなってないよ(笑)。佐高は自称「社民党応援団」なんで、やたらと保守派に噛みつくしか能がない。それにしても、古紙回収業者からも見捨てられた新聞紙みたいな顔色のあのご面相で、よくもここまで他人をこき下ろすことができるもんだ。他人を非難中傷することで、自分の存在感を際立たせようとするところは、社民党・共産党にそっくりだ。