「人間は物語に生きる動物である」――昨年以来、私はこう考えるに至った。思想とは物語を紡ぎ出す源泉であり、その究極が「宗教」だと思う。
前評判の高かった本書だが、一読して圧倒された。とにかく、「物語を編む力」が凄い。この作品は間違いなく、10年、20年を経ても読み継がれるテキストになるだろう。
安倍政権の失敗は人事に起因した。
案の定、内閣官房関係者は大変な憤りを示していた。旧自治省、旧厚生省など旧内務省系の事務次官経験者が歴任してきた聖域を荒らされた霞ヶ関全体に衝撃が走る。その衝撃は怒りに変わり、官僚たちのある決心を促すのだった。
なぜ安倍は事務副長官(官房副長官)の人事に手を突っ込んだのか。正気の沙汰ではない。霞ヶ関全体に対する宣戦布告か。これで役所は動かなくなるだろう――。
スタート直後から、役人のサボタージュが始まった。血筋のよさ、小泉という後ろ盾、「史上最年少総理」と騒がれたことなどが相俟(ま)って、強大な自信となったことだろう。そこに油断があった。更に脇士である官房長官の人事を誤る。
つまり塩崎は、調整能力が待たれる官房長官という役職にあって、政策能力を誇示する人物だった。
その塩崎が官房長官に就任した時、政治記者たちから一斉に警告が発せられた。これで官邸は機能しないだろう。次期政権は必ず行き詰まる。
塩崎は優秀な政治家だったが、官房長官は適所ではなかった。そして、チーム安倍の連絡系統が乱れる。
連携の取れていない世耕、塩崎、井上がそれぞれ独自の情報を安倍に上げる。もちろん井上が、塩崎や世耕に事前に伝えることはない。そんなことをしたら、彼らの手柄になってしまう。別の事務秘書官や参事官、役所からの情報は基本的に井上経由で伝えられる。
確かに、安倍の元には情報が集まりはする。だが、これらの情報がすべて有効であり、同じくらい精確であるとは限らない。時には矛盾した情報が同時に上がり、安倍を混乱させるのだ。安倍にしてみれば、整理されず、多元的に上がってくる情報は迷惑以外の何ものでもなかった。
更に側近の足並みがおかしくなる。
井上(首相政務秘書官)は、安倍総理はすごいよ、本当にすごい人だ、と懸命に自らのボスを褒め上げる。記者たちには、具体的に何がすごいのか、十分に伝わらない。そうした彼らの反応を受けて、井上の言葉はますます熱くなる。安倍総理はいかに優しいか、周囲の人間のことをいつも考えてくれている人物か、まさに礼賛の嵐、絶賛の波状攻撃、抽象的な絶叫の連続。
「政権のプロデューサー」を自認する井上は、塩崎・世耕らと対立する。
公務員改革の旗揚げで役人を敵に回した安倍は、自民党内にも敵をつくってしまう。これが、今国会で審議されているガソリン暫定税率に踏み込んだ政策だった。
「揮発油税を含めて、見直しの対象としなくてはなりません」
揮発油税――。道路特定財源ならまだしも、法定財源である揮発油税に触れたことで、道路族の立場は決まった。無遠慮な首相官邸の「小僧たち」に思い知らせてやる、というものだった。
道路族は一斉に不快感を示し、チーム安倍にも直接苦情が届く。世耕は慌てた。なにしろ情報が一切入っていなかったのだ。広報担当でありながら、安倍の発表まで、何も知らされていなかった。官邸内の連絡不足が露呈する。そうしている間にも、道路族は着々と手分けして「仕事」に取り掛かっていた。
もう一つ引用を。北海道洞爺湖で開催されるサミットの会場「ザ・ウィンザーホテル洞爺リゾート&スパ」が決まった経緯について。
表向きの決定理由は、開催費用を少しでも抑えるために、比較的警備のしやすいこの会場を選んだということになっている。ほとんど困難の伴わない安倍の決断が、官邸を通じて盛んに喧伝されるが、実際は、すでに記したように警察庁長官の漆間巌の強い意向によって決まっていたのだ。
この美しいホテルは数年前まで廃墟と化していた。前のオーナーが経営破たんし、営業停止に追い込まれたからだ。ホテルに向かう一本道の道路も立ち入り禁止となった。高価な調度品は、警備も雇えないことからそのまま放置され、若者たちや不良グループが忍び込んでは、カネ目のものを盗み出していった。地元では近づく者もおらず、ただただ荒れ放題であった。
2000年、セコムグループがその「廃墟」を約60億円で買い取った時でさえ、地元住民は好奇の目で眺めるばかりだった。あまりに高価な買い物であったのだ。
警備会社大手のセコムには、数多くの警察OBが天下っている。さらにマスコミの中には、安倍とセコムの親密な関係を疑い続ける者もいた。北海道の土地を調査するジャーナリストも現れた。こうした情報が噂されるのと平行するように、まるで英断と言わんばかりに安倍が「決断」という言葉を使う回数も増すのであった。
そして、安倍首相の辞任を予感させる文章でこの本は締め括られている。
最初から最後に至るまで、静かではあるが確実に響いてくる通奏低音がある。それは「2世、3世議員の甘さ」だ。閨閥(けいばつ)や学閥がはびこる日本社会の暗澹(あんたん)たる未来を予測しているようで恐ろしい。
・国会議員の4分の1が世襲議員/『洗脳護身術 日常からの覚醒、二十一世紀のサトリ修行と自己解放』苫米地英人
・物語の本質〜青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答