古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

JR福知山線脱線事故

 25日に起こった脱線事故の死亡者が遂に100名を超えた。何の罪もない人々が一瞬にして命を奪われた事実に慄然とする。慎んでご冥福を祈りたい。突然、家族を失ったご遺族の気持ちを想像すると、やり切れない思いに駆られる。


 マスコミは色めきたって連日の報道に余念がない。より悲惨な映像を探し求め、より悲痛な証言を追い続ける。


 どこのチャンネルをひねっても、どの新聞をめくっても、同じニュース一色で占められている。国民の関心は無理矢理、鉄道事故に向けられる。大した考えもなしに、「やっぱり、11ヶ月しか経験のない運転手ってえのあ、やばいよなあ」などと、日常の会話に盛り込んでしまう。どんなベテラン運転手だって皆、11ヶ月の時期があったことは考えもしない。


 一概にはいえないかもしれないが、景気が悪くなると、メディアは叩く人間を求めるようになる傾向が強まる。そして、叩けば叩くほど、国民のマイナス感情はガス抜きされるのだ。


 毎日のように事故の原因が探られている。だが、それは鉄道会社や警察が行うべき問題であって、メディアの連中による推測や邪推は、全く不要だ。鉄道会社に責任があるのは当たり前だ。だが、それを垂れ流すように報じたところで、我々の利益になるとは到底思えない。


 そもそも、鉄道会社が利益優先することを批判するのであれば、その前に、安い料金だけを求め続けてきた利用者を批判すべきではないのか? 安全を重視せよというのであれば、利用者がそのコストを負担する覚悟を述べるのが先だろう。


 厳格なまでのダイヤ重視に疑問の声が上がっているが、電車が遅れて真っ先に文句を垂れるのは我々じゃないのか? 我々が支払ってきた対価(電車賃)は、移動する距離+正確な時間にたいして支払ってきたものだ。そこに、安全面への視点は欠如していたといっても言い過ぎにはなるまい。だからこそ、「安全を確保するために、鉄道会社は利用料金を値上げすべきだ」と主張するのが正論だ。


 事故というのは、起こるべくして起こっている。折りしも、鉄道やバスによる事故が立て続けに起こっている。バブルの終焉以降、消費者にはある種のスポンサーシップが求められている。消費者が安全への対価を負担する姿勢を示さなければ、尊い人命が失われることは火を見るよりも明らか。

過熱する魔女狩り報道

  • 日刊スポーツ:脱線知りながらボウリング大会

 テレビに登場する連中は、皆が皆、みのもんたと化している。眉をひそめて、難詰する練習を自宅の鏡の前で入念に行っているにちがいない。


 日刊スポーツの記事によると――

 天王寺車掌区の車掌は主に阪和線大阪環状線関西本線などに乗務し、事故のあった福知山線に乗務することはない。


 ということは、福知山線で事故があった場合に駆けつけるような態勢は組まれてなかったことだろう。ましてや、事故があった当日なのだから、惨事の詳細を知るべくもない。ボウリングを奨励するつもりはないが、こうした社員まで叩くのは明らかな行き過ぎではないのか?


 そもそも、速やかな出社要請があれば、ボウリング場に電話をすれば済むことだ。それ以前に、人手が足りなかったかどうかすら不明である。よもや、JR西日本の全社員の出社を望んでいるわけではなかろう。

「これはもう漫画や」。あきれた記者から質問に混じり罵声(ばせい)が飛ぶ。


 マスコミの増長ぶりは目に余る。裁判官気取りも甚だしい。かような記者が持つ同じペンで、「イジメはいけない」などと書くのだろう。


 JR西日本の組織的体質には間違いなく問題がある。しかし、問題があるからといって、暴言やバッシングが許されるはずがない。事故があって、一番喜んでいるのはメディアの連中だろう。皆、生き生きと目を輝かせて、仕事に取り組んでいると想像する。


 先ほどのニュースで、またぞろ、追加情報が流れた。ゴルフに興じていた社員や、旅行に行ってた社員もいたとのこと。更なる、メディア・リンチに拍車がかかること間違いなし。


 2005-05-06