テレビは家族がお互いに向き合わないで済むために発明されたものだ

 以前、私は、「テレビは、家族がお互いに向き合わないで済むために発明されたものだ」という意味のことを書いたことがある。正直に言って、この見解は、ただの当てずっぽうであったのだが、意外なことに、正しかった。
 説明しよう。
 実は、1週間ほど前から、ある事情で、妻が入院しているのであるが、以来、私は、ほとんどテレビを観なくなっているのである。普通に考えれば、独り暮らしの人間の方がテレビを多く観そうなものだが、実態は違っているのだ。
「ってことは、オダジマさん、あなたはこれまで主に奥さんと口をきくのが面倒だという理由において、テレビを観ていたのですか?」と、正面切って問われると答えに窮するが、正直に答えれば、8割はイエスだ。
 考えてもみてほしい。
 四角い狭いマンションの部屋のようなところに二人以上の人間が暮らしていると、空気はどこまでも濃密になる。特に、ひとつの部屋で二人の男女が沈黙していたりすると、部屋の空気はほとんど液体に近い密度を獲得するようになる。えら呼吸ができない人(できる奴もいる)は、窒息して死んでしまいかねない。
 で、私は思うのだが、この空気を薄めてくれるのがテレビなのだ。
 テレビのスイッチを入れる。
 武田鉄矢が説教を垂れている。
「嫌な野郎だなあ」
 と私は妻に言う。
「ほんと、毛の生えた足の裏みたい」
 と、妻が答える。
 こうして、我々は共通の敵を獲得することによって、当面の平和を実現し、共存の道を歩み始めるのだ。


【『仏の顔もサンドバッグ』小田嶋隆JICC出版局、1993年)】


仏の顔もサンドバッグ