あなたは「過去のコピー」にすぎない/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ

 彼は一瞬私を優しく見つめ、それから言った。「あなた――あなたの身体、感情、思考――は、過去の結果です。あなたの身体はたんなるコピーなのです。例えば羨望や怒りなどのどんな感情も、過去の結果なのです。羨望について、それを抑圧したり、それを何かあるいは何らかの行為にしようとするなど、あなたが何をしようと、それもまた過去の結果なのです。そのように、あなたはたんに経験の輪のなかを動いているだけなのです」


【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】


 肺の中が空っぽになるほどのため息が出たよ(ウソ)。気持ちとしては肺の粘膜も吐き出したいくらいだ。いや、いっそのこと肺を吐いても構わない。


「経験の輪のなかを動いているだけなのです」――つまり我々は「学習済みの反応」を繰り返しているだけに過ぎないという指摘だ。考えてみよう。我々は物心ついた時から、躾(しつけ)と称して「こうしなさい」「ああしなさい」と矯正されながら育てられた。続いて学校教育では学力を中心にしてランク分けされ、「あるべき姿」を叩き込まれた。そして完全に協力・協調・共同といった価値観に支配された。まるで横一列の手つなぎ鬼だ。あるいは、日本列島のはじからはじまで続く金太郎飴。


 このように歴史や社会からは目に見えない万力のような力があちこちに働いている。これをクリシュナムルティは「条件づけ」と名づけた。例えば「理想を持つことは正しい」と万人が思っている。ところがクリシュナムルティは理想を否定する。なぜなら、何かに「なろう」とすること自体が、現在の否定であり、なろうとしている「何か」は既に「条件づけ」された価値観であるからだ。そして、その「何か」が型となって再び社会の条件づけを強化する結果になる。


 このようにして我々は無意識のうちに「社会的成功」を望む生き方を強いられているのだ。地位・財産・名誉――これ以外の幸福を見出すことは難しい。我々は他人に頭を下げることの多い人生から一発逆転を狙っている。他人に頭を下げさせることこそ人生の目的なのだ。


「フン、金さえあれば幸せだと思っているのか?」などと言いながら、我々はいつでも金のためにあくせくと働いている。なぜなら、「働くことは正しい」ことだし、「労働は社会貢献」であるからだ。誰一人、疑問を持たない。不変の金科玉条だ。


 でも本当はそうじゃないかもしれない。そんなことすら、我々は確認しようともしない。確かに分業制にした方が効率はいい。だが、働いた分の対価を我々は受け取っているのだろうか? 所得税と住民税以外の税金をどれだけ支払っているか我々は知らないのだ。いくら稼いで、いくら搾取されているのかもわからないのだから、怒りようもない。


 君の人生に感動はあるか? ひょっとしてテレビの前でしか泣いたり笑ったり出来なくなってやしないか? 決まりきった日常、決まりきった人生、決まりきった自分……。これこそ「過去の経験のコピー」であろう。我々は「現在」を生きることができなくなっているのだ。クリシュナムルティは「反逆せよ!」と静かに語っている。


私は何も信じない―クリシュナムルティ対談集