大乗仏教の仏は“真実(リアリティ)の神話的投影”/『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男


 案外知られていないと思われるが、実はブッダやイエスは著作を残していない。ソクラテス孔子も同様。枢軸時代のメインキャストは一様に文字を残さなかった。


 何といっても昔の話である。ブッダの生没年さえ定かではないのだ。当時のインドには歴史という考え方が存在しなかった――

 インド文明には都市があり、王権があり、文字があったのだから、歴史も成立してよさそうなものである。それなのに、歴史という文化がインドについに生まれなかったのはなぜか。この謎を解く鍵は、インド人の宗教にある。
 イスラム教が入って来る前からのインドの宗教では、仏教でも、ジャイナ教でも、ヒンドゥ教でも、輪廻(サンサーラ)の思想が特徴である。六道の衆生(天、人、阿修羅、畜生、餓鬼、地獄の6種類の生物)は、それぞれの寿命が終わると、生前に積んだ業(カルマ)の力によって、あるいは上等、あるいは下等の生物の形を取って生まれ変わり、一生を再び最初から最後まで経験する。この過程は、繰り返し繰り返し、永遠に続くのである。この考え方で行くと、本来ならば歴史の対象になる人間界の出来事は、人間界の中だけで原因と結果が完結するのではなくて、神や、鬼や、幽霊や、ほかの動物や、死者たちの、人間には知り得ない世界での出来事と関連して起こることになる。これでは歴史のまとまりようがない。その上、この考え方では、時間の一貫した流れの全体は問題にならなくて、そのどの部分もそれぞれ独立の、ばらばらの小さなサイクルになってしまう。つまり、初めも終わりも、前も後もないことになって、ますます歴史など、成立するはずがない。
 もう一つ、インド文明に歴史がない原因として考えられるのは、カースト制度の存在である。カースト制度の社会の生活の実感では、自分と違うカーストに属する人間は、同じ人類ではなく、異種類の生物である。しかもそのカーストは際限なく細分化して、ほとんど無数にあるものなので、カーストの壁を越えた人間の大きな集団を扱うのが性質の歴史は、こういう社会ではまとまるはずがない。カーストを認めないイスラム教が入って来て、初めてインドで歴史が可能になったのは、その証拠である。


【『世界史の誕生岡田英弘(ちくまライブラリー、1992年/ちくま文庫、1998年)】


 こうした背景もあって、仏教史を調べる際にはアショーカ王の石柱から逆算することが多い。


 仏教の歴史は教団分裂の歴史といってよい。まず、ブッダの死後100年頃に上座部(じょうざぶ)と大衆部(だいしゅぶ)が分裂する(根本分裂)。一般的には小乗と大乗の対立と考えられているが、「小乗(=小さな乗り物との意)」というネーミング自体が、大乗側から貼り付けたレッテルであり、政治的思惑が絡んでいると思われる。その後の分裂の様子は以下――

 ま、色んな説があるわけだが、実際のところは誰にもわからない。確実なのは、ブッダの直説は存在しないことだけだ。それでも、小乗大乗の無署名性を踏まえると、死後100年を経ても尚、ブッダを思慕する人々が多かったに違いない。つまり、いずれにしても仏教全体がブッダという一人の人物から生まれ、整理され、止揚され、今日にまで伝えられたことは確かであろう。


 古来、大乗非仏説という考え方がある。ま、林秀彦が言うところの理工系的発想であろう。しかしながら、上座部が仏の説であるという証拠も存在しない。大乗の特徴は、ブッダを神格化したことであると考えられており、仏の姿は三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう)と説かれている。まるで化け物みたいな姿である。では、なぜそのような仏を描いたのか――

 それにしても一体、なぜ大乗仏教はこのような仏を説いたのであったろうか。
 よくいわれるのは、後世の人々が釈尊を神格化していって、そのように超人的な仏をつくりだした、というものである。釈尊(歴史上)を信仰し、釈尊を讃仰するあまり、等身大の釈尊をはるかに超える空想上の存在を付与していったのだ、というのである。仏塔に釈尊の遺骨をお祀りすることによって、民衆はそこに現存する釈尊を感得し、常住の釈尊を見出していったであろうことはよくうなづけることである。
 こうした経緯も、確かに全然なかったわけではないのであろう。しかしその神格化が、ひとえに外側からの仏陀の讃美にすぎないものであって、しかも大乗仏教はこの立場での仏陀を受けいれたにすぎないのだとしたなら、大乗仏教釈尊を慕う人々の共同幻想にすぎず、単なる誇大妄想、空想にすぎず、かえって仏教としての内実を何も持たない、ということにならざるをえない。
 果して、常住の大悲としての仏は、単に想像上の、実のところ虚妄な存在であり、実はそれほど意味を持たないものなのであろうか。それともそうでないのだろうか。この問題を我々は真摯に考えてみなければならない。
 このことについて、私自身が考えるところは、次のようである。
 まず、文学と歴史と宗教ということをよくよく考えてみなければならない。大乗仏教には、仏教文学運動が相当流れこんでいる。仏伝文学の燃灯明授記物語や、釈尊の過去世物語等々、文学の中での釈尊の追求が大乗仏教の基盤となっているといっても過言ではない。
 たとえば、大乗仏教で強調される十地(の修行の道程)や六波羅蜜(の修行の徳目)は、仏教文学で用いられたもので、この一事を見ても、大乗仏教徒文学運動の密接な関係を見ることができる。あるいは、大乗仏教興起の一つの淵源をなすと考えられている仏塔には、その欄楯や壁面等には、本生譚や仏伝がレリーフで表現されていて、仏塔のガイドはくり返しその釈尊を民衆に語った。そうした中で、釈尊のあるべき姿が深く追求されていった、と考えられている。
 そのように、文学運動における釈尊の追求は、宗教的にあるべき釈尊、真実の釈尊の追求であり、決して単なる讃美、神格化ではない。むしろこの追求の中で、人間性の真実に出会っているのであり、人間存在の奥深くに隠れていた真実を掘り出しているといいうる。とすれば、大乗経典の釈尊ないし仏陀阿弥陀仏等)の物語は、その真実(リアリティ)の神話的投影であるといえよう。


【『仏教は本当に意味があるのか』竹村牧男(大東出版社、1997年)】


 竹村牧男の思索自体が、大乗仏教の成立を想起させる内容となっている。確かに人間が想像するには、何らかの縁(=きっかけ)となるものが必要になる。大乗非仏説は、人間の想像力を妄想と斥(しりぞ)ける考え方だろう。


 ブッダの思想に傾倒し、その人格を尊敬し、ひたすら思慕し、ブッダの心を求めに求め抜けば、ブッダに等しい人物が生まれることだってあっておかしくはない。例えば、天台・伝教・日蓮といった思想的巨人は、仏教を止揚しながらもブッダに回帰するという双方向性を持ち合わせている。


 竹村牧男の思想的格闘は、大乗仏教を興した弟子達の思想的格闘でもあったことだろう。


 ブッダが文字を残さなかったのは、こうした思想的発展を見据えていたからに他ならない。もしも、ブッダ本人が経典を残していたとすれば、経典が教条と化し、時代の変化に対応しきれない場面も出たことだろう。だからこそブッダは原理原則だけを示して、意図的に体系化を避けたのではなかろうか。


 仏教思想が示唆しているのは、教えを守ることよりも、教えを開いてゆく営みである。


仏教は本当に意味があるのか