古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

モルモン教の創始者ジョセフ・スミスの素顔/『信仰が人を殺すとき』ジョン・クラカワー

 正式名称は「末日聖徒イエス・キリスト教会」。「モルモン書」と呼ばれる預言書を信じるがゆえにモルモン教とも称されている。日本だけで、何と320もの教会がある。


 アメリカで実際にあった事件を辿ったノンフィクション。妻と幼い娘を殺害したのは実の兄弟だった。犯行後、まったく悪びれることなく「神の指示に従っただけだ」と平然と答えた。悪しき教義は殺人をも正当化し、一夫多妻を説いていた。

 テンプル・スクエアで真面目な若い宣教師たちが配っている教会の印刷物には、ジョセフ・スミス――いまも、教会の要となっている人物――がすくなくとも33人の女性、おそらく48人ほどの女性と結婚したという事実にはまったく触れていない。このなかでいちばん年下の夫人がちょうど14歳だったとき、ジョセフが自分と結婚するか、それとも永遠の断罪をうけるか、これは神が命じたものであると彼女に話したことも言及されていない。
 一夫多妻制は、事実、ジョセフの教会のもっとも神聖な信条のひとつであった。この教義は重要なものであり、モルモン教の初期聖典のひとつ『教義と契約』の第132章にあるように、長い間神聖視されてきたのだった。ジョセフ・スミスは、多妻結婚のことを「かつて男性に示されたこの世でもっとも神聖で重要な教義」の一部と述べていて、男性が晩年に「大きな喜び」を得るには、すくなくとも3人の妻が必要であると教えていた。


【『信仰が人を殺すとき』ジョン・クラカワー/佐宗鈴夫訳(河出書房新社、2005年)】


 へえ、「3人の妻」ね。そりゃ「大きな喜び」には違いなかろうが、女性にとってはどうなのかね? モルモン教創始者ジョセフ・スミスはただのスケベ野郎だったに違いない。後年、一夫多妻の教義は周囲からの反発や、議会での反対決議などもあって廃止される。しかし信仰は、純粋性を増せば増すほど原理主義に傾くものだ。まして、男性にとって都合のよい教義であれば尚更だ。


 最大の疑問は、どうしてこのような程度の低い教義を支持する人々が存在したのかということだ。多分、ジョセフ・スミスは情熱的で、弁が立ち、人々を魅了する雰囲気を持っていたのだろう。ま、言ってみれば“宗教詐欺師”だ。


 人間の心理には「騙されたい」という妙な願望がある。例えば手品がそうだろう。超能力もその類いかも知れぬ。詐欺は巧妙になればなるほどスリリングな物語となる。


 これまた逆説的になるが、「支配されたい」という願望も存在する。自分よりもはるかに有能で品行方正な人物がいれば、誰だってマゾヒズムになり得る。特に、自分の頭でものを考えるのが苦手なタイプは、「よき支配者」からのコントロールを望んでいる節が窺える。


 魅力というものは、それを感じる人々をして盲目にさせる。恋はいつだって盲目だ。周囲からの助言も耳に届かない。理性は失われ、感情を正当化する論理が直ちに構築される。


 ま、これがインチキ宗教の手口だと思うよ。そして何にも増して、キリスト教の教義に、淫祠邪教がのさばる余地があるのだと私は考える。「神の名」のもとに一切が正当化されてしまう世界観は危険だ。理は信を生み、信は理を求め、求めたる理は信を高め、高めたる信は理を深からしむ――これが正しい信仰のあり方であろう。理と信とが乖離するところに邪教邪教たる所以(ゆえん)がある。