古本屋の覚え書き

古い書評&今週の一曲

「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系/『免疫の意味論』多田富雄

 ・「自己」を規定しているのは脳ではなく免疫系
『寡黙なる巨人』多田富雄
『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』多田富雄
『往復書簡 いのちへの対話 露の身ながら』多田富雄、柳澤桂子
『脳はバカ、腸はかしこい』藤田紘一郎
『あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた』アランナ・コリン
『土と内臓 微生物がつくる世界』デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー


 多田富雄の名著をやっと読んだ。専門用語が多いが、すっ飛ばして読んでも十分お釣りが来る。


 人体は常に病原菌にさらされており、ミクロの戦場では熾烈な攻防が繰り広げられている。健康が維持できるのは、免疫系が日夜奮闘しているおかげであり、病原菌が大量殺戮されている証拠でもある。生きるか死ぬか――これが進化の実相だ。


 免疫系を調べる目的で遺伝子操作による異種交配が行われている。こうして生まれた動物を「キメラ」と呼ぶそうだ。ま、スフィンクスや鵺(ぬえ)みたいなものと思えばよい。


 で、だ。ニワトリとウズラを合体させる。すると、ウズラの羽根を持つニワトリが誕生する。しかし、2ヶ月ほど経つと羽根が麻痺して、歩行も摂食もできなくなり死んでしまう。ところが、免疫の中枢臓器である「胸腺」になる原基を胚に移植すると、拒絶反応が起こらない。


 ご存じのように、免疫とは「自己」以外の異物を攻撃するシステムである。ニワトリにとって、ウズラの羽根は異物に他ならない。これは、どうしたことか。もっとわかりやすくするためには、脳だけ別の動物にしてみればよい。

 しかし、ここではっきりしたことは、個体の行動様式、いわば精神的「自己」を支配している脳が、もうひとつの「自己」を規定する免疫系によって、いともやすやすと「非自己」として排除されてしまうことである。つまり、身体的に「自己」を規定しているのは免疫系であって、脳ではないのである。脳は免疫系を拒絶できないが、免疫系は脳を異物として拒絶したのである。


【『免疫の意味論』多田富雄青土社、1993年)】


 これは凄い。我々は普段、「意識」が自分を支配していると思いがちだが、脳味噌なんて所詮、身体の一部に過ぎないことがよくわかる。確かに「自己」を考える際、免疫系のことは全く考えていなかったよ。すまん、許せ。そういや、自律神経のことも考えてないわな(笑)。


 多田富雄の指摘は、ゲームの佳境で将棋盤を引っくり返すほどの衝撃がある。しかし、我々は再び将棋の駒を並べる羽目になる。


「では、免疫系さえあれば、脳は不要なのか?」


 もちろん、そんなわけがない。複雑にして精妙なるネットワークによって「自己」が成り立っている事実を再確認する必要があるのだ。人体を貫く様々な系が「生」という名の交響曲を奏でている。


 脳科学がビッグバンにさかのぼるかの如き発想であるのに対し、ネットワークという発想は開かれた宇宙を展望するような広がりがある。多田富雄は生命という機能を「超(スーパー)システム」と名づけた。